古城小学校(十和村)  こしろ   へき地級1(1978)
  旧十川村立十川第二小学校として設立、合併で十和村立古城小学校に改称後、2004(H16)年に廃校
 

年度 1947(S22) 1962(S37) 1965(S40) 1970(S45) 1975(S50) 1980(S55)
児童数 不明 150 120 95 66 56


 古城小学校へは村十和村役場のある十川地区から四万十川支流長沢川沿いを6kmほど遡る。2003(平成15)年に十川小学校に統合されて休校となり、その1年後に廃校となった。教育制度の変更に伴って変更はあったものの学校の歴史自体は1875(明治8)年に鳥小学校として確認されている。

 訪問したのは2005(平成17)年9月、3階建ての思ったよりも大きな校舎である。体育館は1996(平成8)年の新築でまだきれいなものである。古城小学校の校区は古城集落と地吉集落に分かれており、西は西土佐村、北は愛媛県日吉村と接している。教職員名簿で確認すると休校前年時の児童数は10名とある。休校後は劇団ひまわりの合宿に使用されていた事もあり、現在も交流目的での使用が多いそうだ。古城地区には「ミニ 四国八十八ケ所」、同じく校区内の地吉地区には「天然記念物の夫婦杉(八幡宮境内)」等の名所がある。伝統文化行事の継承にも力を注いでおり、地区内で五ツ鹿踊り・三番叟・念仏踊り・牛鬼等の伝統文化も継承されている。
 かつて全国的に知られた椎茸の産地であった十和村の中でもこの地域は特に栽培が盛んであった。しかし、安価な輸入品に押されて栽培農家は激減している。現在は、椎茸よりもシシトウ・茶・栗・柚などの栽培が中心となっている。かつて150人いた児童は今10人足らずとなり、学校からは子供たちの声が消えた。校庭の大きなセンダンの木がその移り変わりを静かに見守っている。