北川村    【休廃校小学校】久木  島  小島  菅ノ上  竹屋敷  木積
        【休廃校中学校】島  小島  菅ノ上  小6中3合計9校
         【現存小学校】北川
        【現存中学校】北川  小1中1合計2校

学校統廃合の流れ
1968(昭和43)年 久木小学校を島学校に統合
1970(昭和45)年 木積小学校を北川小学校に統合
1973(昭和48)年 島中学校を北川中学校に統合
1975(昭和50)年 竹屋敷小学校を管ノ上小学校に統合
1976(昭和51)年 小島中学校を北川中学校に統合
1980(昭和55)年 島小学校と管ノ上小学校を北川小学校に統合
            管ノ上中学校を北川中学校に統合

Thanks 北川村教育委員会 電源開発(株)


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 北川村は奈半利川とその支流に沿った人口1,600人ほどの村である。役場のある野友は最下流になるが、上流部で魚梁瀬ダムと野根山街道への2つの支流に分かれる。
 過疎化の進行は他の山間部と一緒だが内情はやや異なる。1950年代初頭には4,000人少々だった人口は1961(昭和36)年には6,000人を超えた。児童生徒数も600人から1,000人を超える増加ぶりであった。他の山間部では終戦後から10年で過疎化が進み始めているのが不通だが、北川村ではそのサイクルが違っている。理由は電源開発(株)によるダム建設がそのすべてに等しい。北川村には同社所有の魚梁瀬・二叉・長山の3ダムがあり、いずれも1950年代後半から建設が始まり、1965(昭和40)年までに完成されている。ダム建設や付帯する電力関係事業に関わる従事者の流入はこの工事に伴って増加した。ダム完成後も発電所や送電設備の仕事があったが、これも1972(昭和47)年にすべて終了した。流入者以外に村民も同社の事業に関わっていた者が多く、事業終了と同時に一気に過疎化が進行した。1975(昭和50)年には2,000人少々までに激減している。

 平成の合併では紆余曲折と波乱に終始することとなった。まず最初2002(平成14)年夏に東洋町・田野町・安田町・北川村・馬路村・安芸市・芸西村との8町村で協議を開始した。室戸市のみを外したうえに広域すぎる協議ではないかという懸念があったがまず香南6町村とのかけもちだった芸西村が離脱、これは地域的な問題もありやむを得なかった。続いて2003年5月までに安芸市・馬路村・東洋町が離脱、わずか半年で4町村になってしまった。東洋町からは協議継続の要請があったが拒否する形になっている。残りの4町村でまとまるかに思われたが、2004(平成16)年6月に田野町のアンケートで反対多数となり、田野町が離脱。その後残った3町村で合併協議を進め、調印までこぎつけたものの最終的には北川村の住民アンケートで否決されたことが原因で合併には至らなかった。
 この地域の合併破綻は少々予想外という意見も少なくない。田野町・安田町・奈半利町・馬路村・北川村は広域行政組合を運営し、消防やゴミ・し尿処理などを行っている。経済的にも馬路・北川で切り出した木材を奈半利・田野・安田で製材加工し、両村への県道・国道はいずれも奈半利川か安田川沿いに通じるなど様々な面で結びつきが強い。この面では高吾北5ヶ町村(佐川町・越知町・池川町・仁淀村・吾川村)と似通った部分があり、当初はこの2地区は順調に合併が進む思われていた。ところがいずれも破綻し、広域行政と合併は別物という流れが強くなる形となった。一方的に財政を締め付けて合併を促しながら、最終的には傍観者であろうとする国政はもう少し市町村の意見を反映した政策をとるべきである。