鴨地小学校(日高村)  かもじ   へき地級1(1974)
  旧能津村立鴨地小学校として設立、日高村立鴨地小学校に改称後能津小学校に統合

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43)
在籍児童数 41  41  21 



 鴨地地区(旧能津村)は日高村の北半分に相当する旧能津村の仁淀川最上流部になる。鮎の好漁場で名高い越知町黒瀬の対岸になり、伊野町出来地と越知町横倉を結ぶ県道から集落が見えているが、直接のルートは限られており、伊野町柳瀬から南岸沿いに進むか越知町片岡で沈下橋を渡るしかない。
 鴨地小学校は1888(明治21)年に能津尋常小学校鴨地分教場として設立され、のちに独立した。能津村と日下村が合併し日高村になり、校舎の老朽化と過疎化が進んだ1975(昭和50)年に旧能津村にあった3小学校(能津第一・能津第二・鴨地)を統合し能津小学校が新設され、その歴史を閉じた。尋常小学校時代から数えて446名の卒業生を送り出し、最盛期の1950(昭和25)年頃には50人以上の児童がいたもよう。

 鴨地小学校

 現在の鴨地小学校跡

 訪問は2004年8月、伊野町柳瀬から狭い川沿いの道を進む。ガードレールもないのでハンドルさばき一つで仁淀川へ車ごと飛び込む羽目になるのは間違いない。仕事柄よく出来地から越知町へ抜けるのだが、南岸に来ることはなく、このサイトを立ち上げたからこそ訪れる場所である。鴨地集落の上部の杉林の先に錆びたフェンスが見えたので行ってみると、そこが学校跡であった。集会所脇に石碑が残っており、町道を挟んで公園があるがこれが校庭だったそうだ。
 近くで農作業をしていた方の話では「分校に毛が生えたぐらいの小さい複式学級で、多くても30人ぐらいじゃった。ほんでも学校があったら賑やかじゃったねえ。運動会らあの行事は地区総出で楽しんだけど今はそういう機会もないなった。」と言う事であった。