常六小学校(四万十市=旧中村市) じょうろく へき地級2(1978)
旧富山村立富山第三小学校とて設立、合併で中村市立に改称後、2003(H15)年に休校
1958(S33) | 1963(S38) | 1968(S43) | 1978(S53) | 1998(H10) | 2000(H12) | |
在籍児童数 | 98 | 120 | 71 | 40 | 7 | 5 |
常六小学校は中村市街地を挟む2つの河川、東側の後川の上流部に位置する。中村市中心部からは国道439号線をほぼ北上し、出合で右折して県道に入ることになる。その他に窪川町打井川と大方町からの山越えルートがあるが、いずれにしろ一車線の細い山道を走る。
常六小学校の歴史は1875(明治8)年に設置された大屋敷小学校から始まっている。場所は現在地よりも1km少々下流の大屋敷にあたり、県道脇にある神社付近だったもよう。その後富山村の学校再編などに伴って現在地に移転している。富山村時代は富山第三小学校となっていたが、
1954(昭和29)年の合併によって中村市立常六小学校と改称された。その後2003(H15)年に旧富山村の小中学校統合が行われ、常六小学校は片魚小学校とともに大用小学校に統合された。ただし他の旧富山村の学校と同様に休校のままになっており、名目上は四万十市立常六小学校に改称されているがこの名称での卒業生は一人もいない。
訪問したのは2006(H18)年10月、打井川より山越えをしていった。休校から3年近く経っているものの、手入れがされており校庭には雑草すら生えていない。校区内には常六・大屋敷・三つ叉の3地区があり、現在は合計3名の児童がスクールバスで大用小学校へ通学している。大用小学校は大用中学校とほぼ隣接しており、1名の生徒が同じバスで大用中学校へ通学している。ピーク時には120名ほどの児童が在籍し、一学年一学級で授業が行われていた。また戦後わずかな期間だが、中学校が併設されていた時期もあった。
地区内は林業のほか、ししとう・椎茸・柚子などの栽培も行われている。国道の整備が進むにつれ、中村市中心部へは一時間程度で行けるようになったがやはり道路がよくなると人が出ていくだけの事であったそうだ。校庭に見える桜は60年ほど前に卒業生が植えたものだという。学校行事の際には地区ぐるみで参加して、木陰の場所取りが大変だったと老人が言っているがもうその賑わいは帰ってこないだろう。
常六という地名は山の端もしくは山麓を表すらしい。織豊期には常陸村という名前で記載されており、おおむね150人前後の住民がいたらしい。