岩原小中学校(大豊町) いわはら
旧東豊永村立岩原小中学校として設立、
中学校は1954(昭和29)年に西豊永村・東豊永村組合立豊永中学校(のち町立)に統合、のちに豊永中学校も大田口中学校と統合され大豊中学校に
小学校は1970(昭和45)年に豊永小学校に統合
年 度 | S30 | S35 | S40 | S44 | S45 |
児童数 | 128 | 113 | 90 | 57 | 統合 |
国道32号線の県境近くにあるJR土佐岩原駅からさらに山腹を駆け上がったところに岩原小中学校跡がある。岩原小学校の起源は1881(明治14)年にまで遡る歴史のある学校であった。廃校となって既に30年近く経ち、現在は集会所が建てられている。とはいえ、校門はまだ残っていたし、記念碑もあった。校門は故溝渕増己元高知県知事の直筆で、記念碑は橋本大二郎現高知県知事の直筆によるものである。
岩原小中学校跡、画面中央やや右下が記念碑
訪問は2004(平成16)年3月。作者はてっきり土佐岩原駅周辺にあるものかと思っていたが、狭い山道を10分近く駆け上がった山腹であった。あちこちに見受けられる棚田は半分ぐらいが放棄されていて、荒れ放題になっている。棚田は保水地としても極めて利用価値の高い形態だったが、経済効率からは切り捨てにされる運命であった。結果として山の水不足問題の一因ともなり、一雨で簡単に増水する河川の原因の一つにもなっている。
ここ岩原でも大規模な砂防工事が進められていて、砂防ダムが建設中であった。土砂災害という前にその原因を解決もせずにいたずらに砂防ダムを造るだけの悪しき土木工事はここでも派手に行われている。身近な自然を切り売りしてしのいできた日本の土木工事は戦後いったい何を残したのか。その反省もなく、いたずらに地方を切り捨てるだけの政治。山に失望は深い、たしかな事はあと10数年で山は荒れ果てるだろう。自然のままに任せるというのは今のように人工林が主役となった山では不可能な事である。