東豊永小中学校(大豊町)  ひがしとよなが   へき地級1(1978)
  旧豊永村立として設立、合併で大豊町立に改称後、中学校は1973(S48)年に大豊中学校に統合、小学校は2004(H16)年大豊小学校に統合
 

年 度 S30 S35 S40 S45 S50 S55 S60 H2 H7 H12 H16
児童数 373 386 286 216 109 78 58 52 33 28 統合
生徒数

 国道32号線をJR豊永駅西で京柱峠方面への国道439号線に入る。JR踏切を渡り国道を進み、大豊小学校(旧豊永小学校)入口の看板を見ながら先へ進む。やがてトンネルをくぐった右手の川向こうに東豊永小学校の校舎が見えてくる。

東豊永小中学校跡

 訪問は2004(H16)年5月。国道とは名ばかりだった439号線も随分と改良が進み、東豊永小中学校手前までは2車線となっている。厳密に区分すると元々東豊永中学校がここにあり、東豊永小学校はもう少し東の落合集落にあった。手狭だったこともあり、中学校の統合後に小学校が移転した経緯がある。そのためか、下流の豊永小学校とは至近距離にあったのだが一定の生徒数があったことや上流部の西峰小学校の統合もあってか統合の話題には上がらなかったようだ。しかし過疎化と財政事情の悪化もあり、豊永小学校と統合された。ここにまた一つ明治時代から続いた学舎の灯が消えることとなった。
 この地域は林業で栄えた時代があり、落合集落を歩くと商人宿や料亭跡があってその名残が窺える。そして児童数を見てもその盛衰ぶりがよくわかる。いわゆる団塊の世代がいた頃には400人近い児童生徒がここにいたのだ。今では全世帯の人口をあわせても足りないだろう、ここにも中山間部の縮図がある、この無策のまま山は滅びるしかないだろうか、集票マシンとして中山間部を利用してきた政権党に反省の色は・・・・ないと思う。