八田小中学校(伊野町)  はた
  旧八田村立八田小中学校として設立、合併で伊野町立に改称後、統合された
 

 伊野町南部の天王ニュータウンから西に八田地区がある。土佐藩家老だった野中兼山が1648(慶安元年)から工事開始して1653(承応2)年に完成した八田堰で有名であるが、昭和の合併以前は八田村の中心地区であり、八田村役場の他に八田小中学校や八田農協(のちに支所)も置かれていた。八田小中学校は小中併設の小さな学校であったが、伊野町合併後に統合された。小学校は1958(昭和33)年に同じ八田村内だった池ノ内小学校とともに新設の伊野南小学校に統合された。中学校は一足早く1955(昭和30)年に川内村立だった川内中学校とともに伊野中学校に統合された。その後天王ニュータウンの完成に伴う人口増で1995(H7)年に新設された伊野南中学校へ校区変更となった。実質的にはこの際八田中学校時代の校区がそっくり変更となっており、40年のブランクを経て八田中学校を受け継いだとも言える。



 訪問は2008(平成20)年5月、八田小中学校跡は現在八田保育園として利用されている。斜め向かいにある八田コミュニティセンターは元の八田村役場跡地になるそうである。八田小中学校の統合後すぐに保育園として使用されたそうで、その後建て替えられたため八田小中学校の痕跡は何もない。敷地内や近辺に記念碑もないそうである。
 八田小学校の歴史自体は明治時代に遡るようであるが正式な記録が残っていない。旧八田村は合併により消滅しているうえに、合併直後に学校自体も新設統合でなくなっている。実際いの町教育委員会に問い合わせても詳細な場所がわからないという事であった。これは池ノ内小学校と同じ状況であった。八田保育園の園長先生に聞くと保育園の園児数は最盛期には80名近くいたもよう、ちなみに現在は10数名。2007(H19)年度には校区内で児童数27名生徒数名となっている。高知市に近い事から地区内の世帯数はほとんど変わらないそうであるが少子化進行でやはり子供の数は減っているようである。10数年前までは対岸の土佐市天崎地区との間に沈下橋が残っていたが、天王ニュータウンの完成や県道の拡幅工事完了で交通量が激増し抜水橋(八天大橋)に替わっている。