権谷小学校(四万十市=旧西土佐村)  ごんたに   へき地級2(1978)
  旧江川崎村立権谷小学校として設立、合併で西土佐村立に改称後、2002(H14)年度から休校となり2006(H18)年に廃校
 

 権谷小学校跡へは旧西土佐村役場のあった江川崎から国道381号線を約2km少々遡り、JR予土線の高架下をくぐった先にある本村から左に江川川をさらに遡る。ちょうど入口には本村小学校がありその脇を通って3kmほどで学校跡に着く。狭いながら細された道は県境を越えて松野町へ通じている。
 訪問は2011(H23)年7月、本村からは市道となりやがて鉄筋コンクリート3階建ての小さな校舎が見えてくる。敷地が非常に狭いため3階建てとなったようで、校舎の前に小さな運動場があり、市道と江川川を挟んだ対岸に体育館とプールがある。
 学校の歴史は1879(明治12)年に江川小学校分校として始まったという記録が残っている。この江川小学校は本村小学校のことで江川崎には川崎小学校と江川崎中学校があったのでややこしくなり改称されたらしい。最盛期の1958(S33)年には68名の児童在籍記録が残っている。



 廃校直後に地元住民管理の「歴史民族(民俗が正しいと思うが)文化の里 権谷せせらぎ交流館」として一般公開(要予約)されている。入館料は\200、地区内や学校の移り変わりを写真で展示したり手作りの地区マップもあるらしい。農機具や山仕事の古い道具類や古い教科書や学習教材などかなりの量が展示されているらしい(要予約なので中には入れず)。また石臼・脱穀・わら細工・竹細工の体験が1人\200、こんにゃく作りや餅・パン作りの体験が5名以上\5,000となっているようだ。



 地区内の主な産業は林業と炭焼き、平地はわずかしかなくもっぱら稲作と野菜栽培は自家消費用でありあくまで補助的な位置づけであった。校庭片隅に休校記念碑が残されており、124年間に747名の卒業生を送り出して最後の児童在籍数は3名と記されている。訪問時点での児童数はゼロとなっている。