小川中学校(いの町=旧吾北村)  こがわ   へき地級1(1978)
  旧小川村立小川中学校として設立、合併で吾北村立に改称後1998(平成10)年に吾北中学校に統合 
    

1955(S30) 1963(S38) 1968(S43) 1973(S48) 1978(S53)
生徒数 89 199 158 31 76



 正門跡
 

 小川中学校跡は吾北村高岩から国道439号線に入り数キロ走った右手にある。訪問は2005(平成17)年7月、旧吾北村の5中学校が統合されて既に7年経つが国道には未だに小川中学校の看板が残っている。敷地内には小川幼稚園・小川小学校が現存しているが、中学校跡は町営住宅となり跡形もない。
 2004(平成16)10月に吾北村・伊野町・本川村の3町村が合併し、いの町となった。1956(昭和31)年の吾北村誕生から半世紀、また小川小学校の看板は変わることになる。吾北村誕生前は小川村となっており、役場は小中学校を見下ろす東側の丘の上にあったそうだ。合併当時は高岩から小川経由で本川村長沢まで森林軌道が延びており、荷役の中心として栄えていたらしい。山腹には現在でも軌道跡を偲ぶことができる。当時小川村内に4小学校があり、この小川中学校には100名を遙かに越える生徒がいた記録が残っている
 吾北周辺の山中には木地師の集落跡や墓もいくつかあり、かつて天然林が豊富にあったことがわかる。伐採による人工林の植林とその後の林業政策の破綻で山は病み、人は去った。ここにも中山間の縮図がある。
国道439号線に残る小川中学校の看板