郷小中学校(東津野村) ごう へき地級2(1978)
東津野村立郷小中学校として設立後、中学校は1972(S47)年に東津野中学校、小学校は津野町立に改称後2010(H22)年に中央小学校へ統合
1958(S33) | 1963(S38) | 1968(S43) | 1978(S53) | 1998(H10) | 2004(H16) | |
在籍児童数 | 213 | 55 | 27 | 24 | ||
在籍生徒数 | 100 | 128 | 114 |
郷小中学校のある芳生野上郷へは旧東津野村中心部の新田から国道439号線を仁淀川町方面へ向かい、約15分ほどである。かつてはくねくねと曲がりくねっていた国道も大幅改良され学校前までは完全二車線となって快適なドライブルートとなった。その他のルートとしては国道439号線を仁淀川町から向かうこともできる。町境の矢筈トンネルを抜け、下っていくと最初の集落(厳密には手前に津野山開拓・日曽ノ川・寺川と3集落があるが民家が点在しておりわかりにくい)が上郷である。手前に天狗高原から下りてくる県道48号線が合流している。
訪問したのは2010(平成22)年12、所用で天狗高原へ行った帰りに立ち寄った。天狗高原はこの時期としては珍しく積雪20cmほどであり、公団林道も県道48号線もスタッドレスに履き替えてなければ通行不可だった。郷小学校のすぐ先までは国道439号線の二車線改良が完了してバイパス化されており、かつて狭い国道脇にあった学校は国道から少し引っ込んだ形になっている。校舎は1980(S55)年に鉄筋へと建て替えられており、その前年1979(S54)年の記録では児童数51名となっている。この時点では1〜4年生までは単独学級で、5・6年生のみが複式学級となっている。元々は郷中学校も併設されていたが、こちらは1972(S47)年の村内中学校統合で閉校となっておりその後は西隣に郷幼稚園があった。過疎化による児童数減少で舟戸小学校とともに中央小学校への統合が決まり、1873(M6)年以来の歴史を終えた。同時に郷幼稚園も中央幼稚園に統合されて閉鎖された。まだそれから一年経っておらず、正面玄関上にかけられた時計も正確な時を刻んでおり今にも校舎から児童が飛び出してきそうな雰囲気である。しかし目を凝らすと校庭南側には閉校記念碑があり、もうここで児童の声を聞くことはないと痛感する。
3年前にこの付近で高知県委託の野生動物調査事業をすることになったが事前に配られた地図が間違っており、現地で委託元に連絡して一番手近な郷小学校にFAXして貰った事があった。その際に付近の動物の話を少しだけさせてもらったが、その時点ではまだ閉校の話は出ていなかったように思う。手元にあるメモを見ると児童数12名と書いてある。たしか低学年と高学年の2学級複式となっており、まもなく一桁の児童数になると聞いた。最盛期の1950年代には小中あわせて300名を越える児童生徒が在籍していたもよう。付近は林業中心に養蚕やこんにゃく作りなどが主な収入源、いずれも現在は衰退して過疎化が進む一方である。学校東に商人宿が残っており、以前の往来が偲ばれる。