藤ノ川小中学校(四万十市=旧西土佐村)  ふじのかわ
  旧江川崎村立藤ノ川小学校として設立、合併で西土佐村立に改称後、2003(H15)年度から休校
 

 藤ノ川地区へは江川崎で国道441号線から四万十川を対岸に渡り1km少々下った藤川川合流地点から遡るルートが一般的である。この他に岩間から山越え林道(完全舗装)、旧中村市竹屋敷から山越え林道(こちらはダート)の3ルートがある。旧中村市街地からだと岩間経由が一番近い。
 訪問は2009(H21)年7月、梅雨の合間に江川崎から藤川川を遡る。5kmほどで藤ノ川集落に出るが、奥まった右手に学校が見えて来るのですぐにわかる。標高約190mにある鉄筋コンクリート2階建て、運動場をはさんで体育館があり思いの外大きな学校である。既に休校以来6年の歳月が流れているが施設そのものはまだ現役当時と変わりないようで、児童達が走り出してきても違和感がない。校区は藤ノ川集落一帯がすべてであり、最盛期には小中学校併せて120人近い児童生徒がいたらしい。
 小学校の歴史は他の旧西土佐村地区と同じように1874(明治7)年に遡り、藤ノ川尋常小学校として発足している。128年の歴史を刻んでその灯を消したことになる。併設されていた藤ノ川中学校は戦後の教育改革に伴って1947(S22)年に設立、村内中学校統合によって1977(S52)年に30年の歴史を閉じた。現在の校舎は中学校併設時の1974(S49)年に建て替えられており、3年間は中学校併設のままだったことがわかる。

 住民のゲートボール場として利用されている運動場の向こう側には体育館があり、運動場南側の渡り廊下を歩いて行くことができる。校歌が知りたくて学校横の雑貨店で聞いたところ、体育館の中に看板が残っておりこの雑貨店が管理を任されているとのことであった。校歌写真撮影したいとお願いして鍵をお借りする、撮影のみ行って早々に退散しいろいろと話を伺った。訪問時点での児童生徒数は8名、全員がスクールバスにて江川崎にある川崎小学校・西土佐中学校に通学している。



 地区内の主な産業は林業、わずかな平地での稲作と野菜栽培は自家消費用でありあくまで補助的な位置づけであった。地理的に近いので藤ノ川周辺だけでなく四万十川本流筋や山向こうの竹屋敷などに出向いての作業も多かったそうである。休校後の学校設備は前述のように地元に管理を委託する形とし、住民の会合や各種研修での利用となっている。体育館の落成記念緞子には1994(H6)年とあり、運動場には照明設備もあった(この地域ではソフトボールが盛んであり、おそらくそのためのものであろう)。校門左側には30余年前の藤ノ川中学校の文字がまだ残っていたが、もう片方は半分以上が欠落し推測するに藤ノ川小学校と刻印があったはずである。