天坪小中学校(大豊町)  あまつぼ
  旧天坪村立天坪小中学校として設立、
   中学校は1953(昭和28)年に繁藤に移転、その後一部編入により校区分離して大杉中学校に統合
   小学校は2002(平成14)年に休校

年 度 S30 S35 S40 S45 S50 S55 S60 H2 H7 H12 H14
児童(小学校)数 225 159 87 61 33 24 17 16 15 9 休校

 天坪小中学校は国道32号線を大豊町役場から3キロほど高知市方面に走った左手にある。地区内の学校は1894(明治27)年に馬瀬尋常小学校が設立されたのが始まりである。それ以前は地区内の民家等で分教場として教育が行われていたようだ。正式には1899(明治32)年に天坪尋常小学校が設立され、馬瀬尋常小学校や各地に残っていた分教場を統合した。現在地に移ったのは1911(明治44)年、その後数回の改築と後述する中学校の紆余曲折を経て現在の校舎は1981(昭和56)年に新築された。
 1955(昭和30)年の昭和の大合併で旧天坪村は大豊村(当時 現大豊町)へ合併することとなった。既に天坪中学校は1953(昭和28)年に天坪小学校併設から南部の繁藤へ新築移転していたが、これは旧天坪村内での地域バランスを考えたものだったと住民から教えていただいた。ところが元々経済的にも地理的にも南側の土佐山田町と結びつきの強かった旧天坪村の南部5集落(樫谷・上穴内・繁藤・南滝本・南茂谷)が土佐山田町への編入を希望し、1956(S31)年に編入となった。このため天坪中学校は土佐山田町立繁藤中学校に改称移管されたが、大豊町分の天坪中学校校区の生徒は急遽大杉中学校への転校せざるを得なかった。しかし大杉中学校の改築が間に合わず、完成までの間は再び天坪小学校に併設として授業を行っている。


天坪小中学校跡

 訪問したのは2004(H16)年3月、国道32号線から穴内川を渡ると橋のたもとに石碑があり、読んでみると京阪電鉄創始者の岡村氏がこの地区出身だったと書いてある。ホームページでは京阪電鉄は1906(明治39)年に創立、第二次大戦の強制合併を経ているため現在の会社自体は戦後の設立となっている。長らくにわたって出身地の天坪村へ様々な援助を行い、その功績にを称えると石碑に書いてある。おそらく学校に対しても援助をしたのだろう。
 終戦後には200人を越える児童がいた天坪小学校が過疎化の進行で一世紀を越えるその時計を止めたのはわずか2年前、2002(平成14)年のことである。大豊町の資料では現在の校舎の起債償還は2004(H16)年度で終了する。校区内の峯集落芦谷地区は未だに車道がなく、国道32号線から狭い山道を40分、さらに終点から1時間ほど歩くしか術がない。県庁所在地高知市からわずか30kmの距離にまだこういう場所も存在する。