芳の沢小学校(大月町)  よしのさわ   へき地級1(1978)
  大内町立芳ノ沢小学校から合併で大月町立に改称後1983(S63)年休校

 芳の沢地区へは大月町役場のある弘見から北東へ向かうことになる。芳の沢小学校跡は地区内でも西端になる内平集落の中心にある。

 

 校門にはいまだに表示が残っている

 訪問は2011(平成23)年の3月、なかなか場所がわからず結局場所を訪ねた地元の方が「口で言うてもたぶんわからんやろ」と車で先導しての案内をしてくれた。たしかにわかりづらい場所である。休校から20年余が経っているのであまり期待はしていなかった。ところが小さな峠の上にまだ木造校舎がとりあえず残っており、校門や外塀もきちんと残っていた。休校期間が長く活用ができなかったことや海に近いこともあってか内部は荒れている。校庭にある2本の大きな栴檀はずっと子供達を見守ってきたのだろう。学校の歴史は1877(M10)年に遡る。当初は現在地ではなかったらしいが2度の移転新築を経て現在地に落ち着いたらしい。開校から106年の歴史を刻んで弘見小学校へと統合された。高知県内でも上小川小学校に次いで長い間休校となったままだったが町内の小学校完全統合に伴い2009(平成21)年3月に廃校となった。

 窓ガラスは全部なくなっているが校舎自体はまだ健在

 休校直後の芳の沢小学校

 講堂跡(上の写真では左奥に見えている)

 案内していただいた方に話を伺ったが休校そのものは過疎化よりも道路事情の改善により弘見地区へ近くなったので少しでも規模の大きな学校へ通学させたいという意見が多くなったのが主な原因。弘見へは芳の沢地区の一番遠い場所でも3kmあるかないかで、合併前から同じ大内町だったことや弘見周辺に働く住民も多いことから特に反対意見はなかったらしい。弘見から芳の沢周辺にかけては標高60m前後の台地が続いており、 農業と牧畜が盛んである。少子化によって児童生徒数はそれなりに減ったものの急激な過疎化にはならず緩やかに進行している様子。