拓小学校(物部村)  つぶせ
  旧槙山村立拓小学校として設立、合併で物部村立に改称後、1965(S40)年に大栃小学校に統合
 

  1955(S30) 1958(S33) 1963(S38) 1964(S39)
児童数 18  17  14  11 


 拓小学校跡へは物部村中谷川土居からと香北町府内からの2ルートがあり、校区の関係で稜線上ほぼ中間地点に位置する。以前に地理上の問題もあって車道が通じていないと聞き、取材に尻込みしていたのだが物部村教育委員会で話を伺ったら10年ほど前に林道が開設されたというので訪問した。

現在の拓小学校跡

1950年頃の拓小学校

 訪問は2005(平成17)年11月、行きは香北町府内から山道を上っていく。途中でやや不安になり畑作業をしている方に訪ねると丁重に教えていただいた(この方に聞かなければ間違いなくたどり着けなかった)。林道から作業道のようなコンクリート道を上ると左手に石垣があり記念碑が見えた。そこが拓小学校跡であった。現在は植林されており、この記念碑がなければ見落とすような場所であった。

記念碑

 拓小学校は1878(明治11)年に庄谷相小学校として設立されているが当時は現在地よりも西寄りの谷筋にあった。その後、校区変更があり現在の場所に移転、拓尋常小学校→槙山第二尋常小学校→第二国民学校と改称され最終的に1947(昭和22)年に拓小学校となった。前述のように車道はなかったために、校舎改築や日常の物資輸送もすべて人力に頼るという過酷な状況であった。1955(昭和30)年には18名の児童がいたそうであるが、その10年後に統合されている。訪問時点での校区内児童数は0となっている。
 急峻な斜面が多い地形上及び水利上の問題もあり、楮三椏と炭焼き・林業に生活の糧を得るしかなかったこの地区は加速度的に過疎化が進んだ。槙山村と上韮生村が合併する前から衰退は顕著であり、もはや地区だけの対応では為す術もなかったのが実情であろう。
 拓小学校の直下には往還道があり、「塩の道」と呼ばれていた。人間の生活に欠かせない塩はかつて岸本(現在の香我美町)周辺の土佐湾沿岸の塩田で作られ、この「塩の道」と呼ばれる約30km足らずの道を塩に限らず海産物や農産物をはじめとする様々な生活物資を運ぶ相互の生命線であった。この数年になってこの「塩の道」を見直し、地域の活性化へつなげようとする動きがあり今後の継続活動を願う。