西川小学校(土佐山村)  にしかわ
  土佐山村立西川小学校として設立、のち土佐山東小学校へ統合後に土佐山小学校へ再統合

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43)
児童数 86  65  33 



 土佐山村中心部から東へ進み、県道高知本山線と南国伊野線の分岐を南国市方面に向かう。3キロほど進んだ対岸に体育館が見えてくるがそれが土佐山村立西川小学校跡である。校舎は既になく、校舎撤去後に建てられた体育館の脇に校庭跡が残っている。
 西川小学校の閉校は1975(昭和50)年である。学校の歴史自体は1890(明治20)年の尋常小学校まで遡る。以来85年の歴史を刻んで土佐山東小学校として桑尾小学校と統合された。しかし村内全体での過疎化が急激に進み、4年後の1979(昭和54)年に土佐山小学校として再統合された。

 訪問したのは2004(平成16年10月)、何か学校跡を示すものはないかと探したら藪の中に記念碑が残っていた。

 土佐山村は高知市からわずか20分足らずとはいえ、極端に平地が少ないためにベッドタウンとしての開発もできなかった。今でこそ快適な2車線の県道となっているが、20年ほど前までは断崖を通る狭い山道であった。このため時間的な距離間以上に精神的な距離感があったのは事実である。当時はまだ未成年だった作者は自転車で何度かこの道を走った事があるが、本当に車同士のすれ違いさえ困難を極めるほどの山道であった。行政や住民の努力で拡張され、今では往事を偲ぶ事すら難しい。
 多くの過疎地域が道路の改良で益々過疎化が進行する悪循環に陥っているが、この土佐山村は例外である、もちろん主産業であった一次産業の不振は大きな影響を与えてはいるが、道路改良後は逆に人口増減はほとんどない。距離的に高知市との通勤圏内に入ることや定住にむけて村営住宅の建設など様々な努力がされている。この西川にも村営住宅があり、子供がいる。高知市との合併が確定した現在、中山間を都市が飲み込み潰すのか、それとも共存共栄に向かえるのか、この合併の先は一つの指針となるのではないだろうか。