野老山小中学校(越知町)  ところやま
  旧越知町立野老山小中学校として設立、合併を経て2004(H16)年に休校

 高速道路開通後めっきり交通量の減った国道33号線を松山方面に向かい、越知町中心部を過ぎさらに仁淀川沿いに上流へと向かう。昨年開通した野老山バイパスを通らずに旧道に入り、橋を渡ったすぐ左手の坂道を上っていった先が野老山集落になりその中心に野老山小中学校がある。一般的にはラーメンで有名な自由軒の先の橋を渡った左手を上るといったほうがわかりやすいだろう。国道33号線からは体育館が崖っぷちに建っているように見える。2004(H16)年3月に休校となっていたが2012(H24)年3月に廃校となった。

児童生徒数 1953(S28)/5 1963(S38)/5 1973(S48)/5 1983(S58)/5 2002(H14)/3
野老山小学校 158 111 52 22 7
野老山中学校 82 68 S44閉校

 訪問は2008(平成20)年3月、休校からちょうど4年になる。もっとも野老山中学校は二段階にわたって行われた中学校再編計画の一陣として1967(S42)年に越知中学校に統合されており既に40年少々経っている。小学校もその後建て替えられており、小中併設だった頃の面影は残っていない。この中学校統合に関して越知町内で一番反対したのは野老山地区であり、生徒の登校拒否まで打ち出す激しい反対運動があったらしい。小学校も1874(明治7)年の設立後ちょうど130年の歴史をもってその役目を終えたことになる。
 旧松山往還が廃止され明治以降に国道となって仁淀川沿いに移されたころは学校前を通っていたそうである。その後加枝からいったん下って大崎に抜けていたが、明治時代の終わりには現在の国道ルートに変更されたそうだ。思いの外平地が多いので農業が盛んだったそうである。その名残か、近年までJA支所も設置されていた。国道沿いには今も芋菓子の製造会社があり、直売所もあって前述の自由軒とともに賑わっている。
 訪問時点で児童生徒は各2名ずつ、スクールバスで通学している。学校は生涯学習発信基地「野老山おとなの学校」として地区内外からの交流拠点となっている。