床鍋小中学校(津野町=旧葉山村)  とこなべ    へき地級1(1978)
  下半山村立床鍋小中学校として設立後、合併により葉山村立に改称、のち葉山小中学校へ統合
 

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53)
在籍児童数 60  42  30  14 
在籍生徒数 28  31     


 床鍋小中学校のあった床鍋地区は長い間葉山村中心部と山で隔てられていた陸の孤島のような場所であった。県道317号萩中須崎線を通って須崎市上分へ出てそこから新荘川沿いに国道197号線を走るしか交通手段がなかった。このため学校統合後は長い時間をかけて葉山小中学校へ通うより、須崎市立上分小学校へ通う児童生徒もいたそうである。近年になって山越えの林道が開通しており、大幅な時間短縮となった。


 

 訪問したのは2008(平成20)年4月、須崎市上分から向かう。くねくねと狭い川沿いの道を30分ほど走ると正面に学校跡の見える開けた場所に出た。床鍋小中学校は1950(S25)年に設立された小中併設の小さな学校であった。今では少なくなった木造校舎が当時のまま残っており、この木材一式はすべて地元住民の寄付によるものである。中学校は1966(S41)年に葉山東中学校に統合され、小学校も1983(S58)年に葉山小学校に統合されている。校区は床鍋地区のみであり、小学校閉校時の児童数は8名、現在児童生徒とも0名である。
 閉校後の校舎はしばらく放置状態に近かったがH12年から始まった高知県の集落再生パイロット事業に認定され農村交流施設『森の巣箱』として利用されている。観光としての利用よりも地元住民が楽しむことの出来る場所にという考えで計画は進み、地域住民のためのコンビニエンスストアや居酒屋が設置された。もちろん外部利用者のための宿泊施設も完備しており、学校跡が人の賑わいを取り戻した数少ない成功例ではないだろうか。開業資金は地区が出資し、地区民全員が経営者という自覚によって地に足のついた運営を行っている。開業以降の年間売り上げは常時1,000万円から1,500万円の間で推移(台風で道路が長期間寸断されるなどのトラブルがあったため)しており人件費をボランティアでまかなうなど地域の活性化を第一とした自立型施設ともいえる。未だハコモノ行政を推進する馬鹿な政治家に見習ってもらいたい施設である。