竜ヶ迫小学校(大月町)  たつがさこ   へき地級1(1963)
  奥内村立竜ヶ迫小学校から町制施行で大内町立、合併で大月町立に改称後1971(S46)年弘見小学校に統合

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43)
在籍児童数 93  77  43 



 竜ヶ迫沢地区へは大月町役場のある弘見から国道312号線をいったん宿毛市方面に向かい、それから左折して向かうことになる。途中で栄喜からの県道357号安満地福良線に合流する。役場からの直線距離は4km少々だが東側から迂回するように走るので走行距離は約11km、所要時間は20分程度である。
 現集落の南側にあるムクリ山山頂近くには遺跡があり、縄文・弥生時代の居住が確認されている。現在の海沿いに住み始めたのは1876(M9)年に宿毛湾を挟んだ対岸の大浜(津島町=現愛南町津島)近辺から21戸が移住して開拓されてからである。その後1889(M22)年に奥内村が発足し、大字芳ノ沢に属することになった。1897(M30)年には戸数が40に増えたこともあり大字分割の陳情を行ったが認められず、大字並み扱いの地区になった記録が残っている。奥内村が1951(S26)年に町制施行され大内町になり、1955(S30)年には大字として認められた。その後1957(S32)年に合併で大月町となった現在も大字として残っている。
 学校の歴史は移住翌年の1879(M12)年竜ヶ迫尋常小学校から始まっている。地区内の急激な過疎化により1971(S46)年3月をもって弘見小学校(当時)に統合されその歴史を閉じた。

 訪問は2011(H23)年3月と2016(H28)年2月の2回に行った。初回訪問時に全景を撮り忘れたので再訪問した次第である。廃校後竜ヶ迫地区に払い下げられたものの、特に利用目的もなく実質的に放置されていた学校跡は1990(H2)年にIターンした移住者が民宿を始められ、今年で28年を迎えている。大きな改修工事もなかったせいで往事のままの木造校舎が残り、独特の風情を醸し出している。

 1970年代の竜ヶ迫小学校

 ほぼ同位置から撮影の近況(2016)

 校門跡

 校舎跡(現在は民宿として活用中)

 学校玄関

 集落東側から見た遠景

 集落東側から見た学校跡

 集落から見た旧津島町(移住者の主な出身地)

 集落東側からは遠くに旧津島町が見えている。住民の話では終戦後の奥内村時代には児童数だけで100人を越えており、全体の人口は250人から300人近くいたという。半農半漁の暮らしで自家消費用の農作物と現金収入は漁業が手段だった。1981(S56)年の記録では世帯数57・人口148人、2015(H27)年の時点で世帯数41・人口72人となっている。

自遊学校 竜ヶ迫小学校跡を利用した民宿型宿泊施設