勝賀瀬小学校(伊野町)  しょうがせ   へき地級準(1978)
  旧神谷村立勝賀瀬小学校として設立、合併で伊野町立に改称後、2008(H20)年に休校、のち2016(H28)年廃校

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53) 1998(H10) 2004(H16)
在籍児童数 162  170  113  32 


 

 伊野町中心部から国道194号線を仁淀川沿いに走る。神谷小中学校を過ぎ、土佐和紙工芸村の先で右手から支流が流れ込むがこれが勝賀瀬川で勝賀瀬小学校へは川沿いに1kmほど遡る。
 勝賀瀬小学校

 訪問は2008(平成20年)10月、この川沿いを走るのは昨年9月に中追小学校を訪問して以来である。その際に勝賀瀬小学校に立ち寄って中追校区から通う児童について聞いたのだが、まさか翌年に休校になるとは思わなかった。本年度以降に児童数の激減が見込まれるため、父兄からの強い要望で急遽休校となったそうである。
 勝賀瀬地区は1975(昭和50)年の台風5号で大きな被害を受けた地区の一つで、この勝賀瀬小学校も土石流に見舞われ立て替えを余儀なくされている。勝賀瀬川沿いを注意して見回すと高台以外に古い家や建物がないことに気がつく。すべて流されるか、土砂に埋まってしまったのである。仁淀川水系に大きな被害をもたらしたこの台風で勝賀瀬地区は地区民全員が孤立状態となり、各所にあった棚田もすべて押し流されて跡形もなくなった。激甚災害に指定され迅速な復旧が進んだが、これを機に過疎化が一段と進んだことは否めない。
 訪問時点での校区内児童数は3名、神谷小学校ではなく中心地の伊野小学校で通学している。これは統合要望の際により規模の大きな学校への通学を望んだためだそうである。財政難で専用のスクールバス確保が難しかったのだが、この区間の民間路線バス(高知県交通)の便数が比較的多い事からいの町が定期代を全額負担しての通学となっている。旧伊野町では上流部から学校の統廃合が相次ぎ、今では神谷小中学校から上流の学校はすべて休廃校となってしまった。




勝賀瀬小学校校歌

1 若葉に萌える 山合いの 仁淀の谷に 育まれ みんなは強い 鉄の意志
  この手 この足 このからだ 力みなぎる 勝賀瀬校
2 雲は流れる 青い空 文化の光 よく浴びて みんな正しく 堂々と
  平和日本を 作るのだ 励む僕たち 勝賀瀬校
3 鷹羽に響く 里の歌 世界に続く 大空を みんな仲良く 若鷲は
  自由求めて 進むのだ 希望みなぎる 勝賀瀬校