笹場小学校(中土佐町) ささば
旧上ノ加江村立矢井賀小学校から合併で改称後2014(H26)年休校
1958(S33) | 1963(S38) | 1968(S43) | 1978(S53) | 1998(H10) | 2004(H16) | 2013(H25) | |
在籍児童数 | 25 | 28 | 22 | 32 | 3 |
笹場地区は中土佐町役場等がある久礼から約3km少々、海岸沿いに県道26号中土佐佐賀線を走った場所になる。久礼から非常に近いが以前は上ノ加江村の最北部であり、中土佐町合併時の約束もあり長い間小学校が残されていた。1997(H9)年に現在地の高台に新築移転されるまでは集落の真ん中に学校があった。
県道脇高台にある現校舎
旧校舎は右側の町営住宅(標識の向こう側)に建て替えられている。奥の高台に移転。
訪問は2017(H29)年の1月、まずは旧校舎の位置を確認したのだが現在は町営住宅になっており写真掲載についてはいったん保留。続いて県道脇高台にある現校舎に向かう。
学校案内板
県道脇には「笹場小学校にようこそ」という案内板があり、2014(H26)年4月の休校からわずか3年足らずということもあって朽ち果ててはいなかった。笹場小学校の歴史は1873(明治6)年に民家を借りて私塾のような形で始まっている。その後尋常小学校など名称と合併による所属自治体の変更を経て141年にわたる歴史を閉じている。実は旧校舎の老朽化が問題になった19年前にも閉校が検討されていた。児童数も少なく新築費用がもったいないので近くの学校と統合してしまえという意見が出ていたそうである。この時はPTAや地元が一丸となって存続に動き、地元産の杉を使った校舎に立て替えられ住民総出で柱を磨いた。そして移転後の場所には町営住宅が建てられて移住転入者が増え、一時的には児童数も30名を越えていた。しかし2008(H20)年ごろから児童数が再び激減しだし、地区内の新生児から推計する新規就学児童もほとんど見込めない状態となり、遂に休校となった。さすがに今回は地区内も諦めムードが広がったらしく、反対もほとんどなかったそうである。
笹場地区は織豊期において篠葉村の名前で登場しており、主に笹場川沿いに人家と田畑が広がっている。江戸時代から上ノ加江村の枝郷としていくつかの地検帳や郷村帳に記載され、農林業と炭焼きが主な産業だった。海沿いとはいえ大きな港がないので漁業は自家消費用+@程度の細々とした状態だった。働き手は県外に出て、県道が整備されるに従って残っていた者も久礼や高知市内などに出て行く一方で過疎化が進んでいる。
玄関
校舎と体育館
校庭
休校記念碑
校庭から笹場集落を見下ろす
久礼から海岸沿いに延びている県道26号線は中土佐佐賀線と名乗ってはいるが現在も窪川町(現四万十町)志和の先で未通のままである。この県道沿いにはかつて4小2中があったのだが、笹場小学校休校と同時期に志和小学校も廃校となり現在は上ノ加江小中が残るのみとなっている。志和の先、県道終点手前で海岸沿いに下りてゆくと大鶴津・小鶴津という2つの集落があったが数年前から無人となっている。