大砂子小学校(大豊町)  おおすなこ
  旧西豊永村立大砂子小学校として設立、合併により大豊町立に改称後昭和45年に豊永小学校に統合
 

年 度 S30 S35 S40 S44 S45
児童数 139 132 79 66 統合

 大豊町役場から国道32号線を徳島県境方面に向かい、豊永小学校(旧豊永中学校跡)を右手に高台に見ながら数キロ進むと大砂子小学校跡が左に見えてくる。大豊町教育委員会の資料では1883(明治16)年頃の設立だと思われる。資料を見ると不運な学校で、どういうわけか校舎の新築を行うたびに災害に遭っている。1914(大正3)年3月に落成した時は翌1915(大正4)年9月の台風で倒壊、1951(昭和26)年4月にも新校舎が完成し落成寸前に土砂災害で崩壊という記録が残っている。大正時代には一時的に農業学校が併設されたこともあったようで、児童数を見てもわかるように1学年1学級での授業がほとんどであったようだ。
大砂子小学校跡、真下が国道32号線

 訪問は2004(平成16)年3月、現在は大きな民間縫製工場が建てられている。撮影について許可をいただくが、社名掲載NGということで何せ工場が大きいため社名が見えないように撮影するのに苦労した。結局対岸の岩原から林道を駆け上がっての撮影とした。かつて校舎は写真右手のほうにあり、左半分が校庭だったそうである。
 撮影後林道を下ったJR土佐岩原駅前で地点でスクールバスの運転手さんが休憩していたので話を聞く。現在この地区で送迎する児童生徒は合計で30人から40人ぐらいらしい。もっともこの数字は岩原地区と併せてのもので、大砂子だけの児童生徒数ではない。朝は親の出勤時に自家用車で送っていく家庭がほとんどで、日によっては1人もいないことがあるそうだ。夕方はさすがにそうもいかないが、運転していて年々子供達の数が減って来るのはよくわかりますよと言っていた。