羽尾小学校仲木屋分校(夜須町)  なかぎや
  旧東川村立羽尾小学校分校として設立、夜須町合併により改称後1961(S36)年に本校統合
 

  1957(S32) 1958(S33) 1960(S35)
児童数



 仲木屋分校のあった仲木屋集落は昭和の大合併時に旧東川村が分村編入した際に、細川・羽尾・沢谷の3字とともに夜須町に編入されている。林業と炭焼きで生計を立てていたが、離村が相次ぎ今では沢谷・上倉とともに無人の地となっている。1908(明治41)年に開設された記録があるが実際はそれ以前から私設の教育場として存在していたらしい。分校は前述のように正式に判明しているだけで53年間(元住民によると教育場時代を入れて約70年らしい)の歴史を刻んでその幕を閉じた。分校廃校翌年の1962(S37)年に最後の住民も去り、現在は仲木屋集落跡自体が人工林と藪の中に埋もれていく状態である。

 学校跡上の踏み跡

 訪問は2009(平成21)年11月、廃校から半世紀近く経っていることや既に住民がいないこと、東川村も夜須町もその後の市町村合併でなくなっていることなどで思いの外所在地特定に手間取った自己評価★★★の最難関クラスであった。国土地理院の所有地図にも学校の記載された時代の物がなく、最近になって1957(昭和32)年郵政省発行の郵便局配達地図を入手、やっと場所の完全特定ができた。この地図には(配達用なので当然だが)配達地点(大部分が民家だろう)も記載されているので往事の状況がわかりやすい。
 大栃から県道29号安芸物部線を走る、この県道は本来の計画では撫川付近から山越えをして仲木屋付近を通って安芸市尾川に抜けるはずだったようだがまだ未開通のままである。撫川からは県道51号夜須物部線になるがいずれにしても狭い道が延々と続く。香長平野を見下ろす稜線に出てすぐに県道221号奥西川岸本線との分岐になるが、これを過ぎて1km少々で仲木屋林道の看板があるので林道に入る。舗装が切れさらに進むとNTTのアンテナ管理道があり、その100mほど先の左手に夜須町教育委員会の建てた学校跡記念碑がある。集落存在時は車道が記念碑の場所までは全通していなかったらしく、一つ手前の尾根筋から歩いていたそうである。本来はこの道を歩いて行きたかったのだが、途中できれいさっぱり斜面ごと道が崩落しており早々に撤退した。

 あらためて記念碑から出直す、学校跡はここから約100m(標高差)下った地点になるが、林道開設時に当時の道が埋もれてしまい下降点が非常にわかりづらい。しばらく林道直下の藪と格闘して何とか踏み跡を見つける。林道から見て右斜めに下る踏み跡を下ると小さな谷にあたり、よく見るとすぐ下と対岸に踏み跡が見つかった。これが郵便局配達地図に記載されている道(先ほどの尾根筋からの道でもある)だろうと見当をつけ、東へトラバースすると尾根を回り込む地点で石垣が見え学校手前にある3軒の民家だろうとわかる。仲木屋分校跡は民家からさらに進んで谷間の先なので先に進むが、崩れかけた石垣ぐらいの他は瓦が散乱するぐらいで予想通り学校の痕跡は何も残っていなかった。

 仲木屋分校の校区は仲木屋・上倉の2集落であるが両集落とも現在は無人となって久しく集落跡すら定かでない。前述の郵便局配達地図で確認すると、仲木屋4・久保1・仲ウネ3・上倉1の字があり9ヶ所の配達地点がある。そのうち1つは仲木屋分校なので除外するとして8ヶ所の配達地点があり、大部分が民家ではないだろうか。舞川で偶然かつての卒業生に会うことができ、その時に聞いた話では終戦直後で20軒少々で昭和30年頃に10軒程度の家があったという話だったのでまず間違いないだろう。西に隣接する沢谷集落は羽尾本校の校区であるが中ノ谷・オモヤシキ・向刑部などは距離的にはるかに近いのでもしかしたら仲木屋分校に通っていたかもしれない。
 羽尾本校までは一度沢谷へ下って1時間半ほど、中学校となると東川村時代は東川中学校、夜須町となってからは夜須中学校となるがさすがに遠すぎて(現在の車道でも15kmほど)舞川中学校に通っていたそうである。舞川も元々は東川村であり、分村編入で香我美町になったために一応校区外通学という扱いであった。舞川中学校までは片道約2時間、運動会の練習などで帰りが遅くなった際は途中の小屋に寝泊まりした事もあったそうである。仲木屋分校の児童数は分村編入やその後の再合併もあって定かでないが、配達地図と同じ1957(S32)年に2名の在籍記録が残っている。卒業生の話では戦後数年間のピーク時でも10名足らずだったそうである。
 学校跡で写真を撮り終え小休止していると踏み音らしき鈍い音、20m先を中型のシカが駆け抜けていった。まわりにはシカ・猪・野ウサギの糞が落ちている。中でもシカの糞は相当落ちており、無人となった山の集落跡はシカの楽園となるのだろう。

 2015(平成27)年3月に再訪問した。同行のHEYANEKO氏が詳細な資料を持参しており、あらためて学校場所を再確認する。前回訪問場所と間違いはないようだが、前回日露戦争の記念碑があり民家跡の可能性も捨て切れていなかったのでその写真は載せなかったが今回撮り直す。


 仲木屋分校跡

 教員官舎跡

 不明(おそらく国旗掲揚台)

 日露戦争記念碑

 下の石垣

 林道脇の記念碑