室戸高校野根分校(東洋町)  のね
  1972(昭和47)年に本校統合
 

 高知県の県立高校としては一番東に位置する室戸高校はかつていくつかの分校があった。この野根分校はそのうちの一つである。1951(昭和26)年に設立され、1972(昭和47)年に本校に統合されている。後述するが今までの休廃校の取材の中で一番印象深い出来事があった。
校舎付近(現在の野根小学校プール)
野根小学校校長室より
 訪問は2007(平成19年)5月、国道55号線から国道493号線に入り右手の奥に見えるのが野根小学校になる。事前に室戸高校に正確な所在地を問い合わせた時には即答してもらえず、半日してから「野根小学校の玄関付近に間借りしていたらしい」という回答であった。何せ廃校になってから35年も経っている、学校にとっては大きな手間のかかる質問だっただろう。この時点では野根分校が定時制だったこともあって夜間に空いた小学校で授業を行っていた(同様のケースは佐川高校日下分校がある)のだろうと思っていた。
上記写真の位置説明
 現状は野根小学校の管轄になっていることは間違いないので校長先生に写真撮影の許可をもらうべく訪問する。校長室で事情を説明しながらふと振り返ると古い航空写真あり、校長先生の説明で室戸高校野根分校は独立校舎だったことが判明する。かつては小中高がほぼ一カ所に所在しており、室戸高校野根分校も平屋建てとはいえそこそこの規模であった。なお野根分校の廃校後に野根小学校が建て替えられ、隣接していた室戸高校野根分校は解体されて野根小学校の敷地になっている。野根中学校も老朽化と手狭だったため新築移転となり、国道493号線脇に移っている。
 さてここからが前述のようにまさに想定外の出来事となった。校長室にある古い航空写真と敷地内の撮影とWebへの使用をお願いしたところ、写真自体が東洋町の所有であることから学校での判断が難しいといわれてしまった。生見にある東洋町教育委員会へ向かって車を走らせ、事情を説明する。ところが全国の注目を浴びた先の核廃棄物最終処分場誘致に伴う町長選挙後に教育長は辞任しており、責任者が不在だという。とはいえ車で4時間かかる東洋町まではいそうですかと再度出直す訳にもいかない。何とかならないかと懇願したところ、「じゃあ町長に判断決裁してもらいましょう、事情を町長に説明してください」と言われ驚いたものの他に手段がないようである。職員に連れられて町長室に向かい、この2ヶ月ほどテレビで何度も顔を見た沢山町長と面会する。まさか個人的な趣味の一環であるこのサイトの事を町長に説明することになるとは夢にも思わなかった(カメラ持ってくればよかったと思ったがあとの祭り)。とりあえず営利目的ではないことと過疎化の中の一つの記録として高知県内の休廃校をすべて調査する予定を説明する。冷や汗掻きながらの説明をじっと聞いていた沢山町長から「いいでしょう、口頭許可でいいです。」と許可が下りたときにはほっとした。教育長だけでなく教育委員も辞任しており、他にも人事が滞っていると聞いてはいたがこのような依頼ですら町長自ら対応せねばならないのは少々気の毒に思った。核廃棄物最終処分場誘致の件は実質的に東洋町内部での古くから続く対立に根ざすものではあるが、国策で地域を混乱させながら最終的には高見の見物を決め込んだ国の姿勢には大きな疑問を感じる。作者は誘致には反対だが、国策の一環として行っているのならある程度誘致賛成派への支援を行うのが筋ではなかったか。もちろんそれまでの独断的な経緯は批判に値するがそれはあくまで誘致側の問題であって先の町長選挙で特に国としての賛成派支援は何も行わず、結果としては見殺しにしたことになる。
 無事許可もいただいたので野根小学校に引き返し、写真を撮影する。かつての校舎は現在のプール付近にあったそうだが記念碑などもなくだいたいの検討で写真を撮る。その後近所の老人に話を伺ったが定時制ということで地元からの進学者も少なくなったので廃校はやむを得ないという状況で、特に地元からも大きな反対意見は出なかったそうである。