三原小学校南分校(三原村)  みなみ    へき地級2(1978)
三原村立三原小学校分校として設立、1980(S55)年本校統合

 1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1973(S48) 1977(S53) 1980(S55)
児童数  92 54 52 34 26 20

 三原小学校南分校跡は三原村役場から3kmほど南東にある下長谷地区にある。県道21号土佐清水宿毛線を下ノ加江川沿いに沿って走ると人家が途切れるあたりの左側に記念碑と正門跡が見えてくる。ここからさらに4km程進むと芳井分校跡がある。

 訪問は2011(平成23)年の2月、正門にまだ分校の表示が残っているが校舎は既に取り壊されてなくなっている。正門左手に閉校記念碑と教職員住宅が残っている。在籍児童数や下の写真でもわかるように分校とはいえ、比較的規模が大きいほうだったらしい。1874(明治7)年に分教場として設立され一時期は独立校となっていたりもしたが、戦後はずっと分校であった。1977(昭和52)年には芳井分校を統合しているが、3年後の1980(昭和55)年に105年の歴史を終えている。本校三原小学校の老朽化の伴う立て替えと道路事情の改善があって統合されたようである。

 南分校(撮影時期不明)



 地区内では米作と林業・炭焼きが主な生活の糧でその後緩やかに過疎化が進んで現在の校区内児童数はと13名となっている。下ノ加江川沿いには水田や畑といった耕作地がそこそこ広がっているが南分校跡から下流は山がせり出してくる形となっている。