三原小学校東分校(三原村)  にし    へき地級2(1978)
三原村立三原小学校西分校として設立、1980(S55)年本校統合

1958(S33)  1963(S38) 1968(S43) 1973(S48) 1978(S53) 1980(S55)
児童数 53  38 33 29 25 17

 三原小学校西分校跡は三原村役場から7kmほど西進した県道344号中村宗呂線脇にある。校区は亀ノ川・下切の2地区となっていた。

 県道脇から見た全景

 訪問は2015(平成27)年の6月、県道沿いに敷地が残っている。2011(平成23)年12月にも訪問しているのだが、その際は集会所建設のため資材だらけになっており隅にあった遊具だけを撮影して帰った(結果的にこの遊具はそのまま撤去されたらしい)。

 三原村史によると1873(明治6)年に亀ノ川学舎設立、1880(明治13)年に柚ノ木移転、1887(明治20)年に亀ノ川移転とある。当時は三原村発足前であったため亀ノ川村が運営主体だったようだ。その後1889(明治22)年に他の12村と合併して現在の三原村が誕生しているが、分校となった時期は不明である。地元の方の話では戦前から分校になっていて5年生になると本校に通学していたそうだ。他の分校と同じように本校三原小学校の老朽化の伴う立て替えと道路事情の改善があって統合され、106年の歴史を1979(昭和55)年で終えている。

西分校(撮影時期不明)

 左側の集会所付近に旧校舎があった

 栴檀の木はそのまま残っている

 前回訪問時に放置されていた遊具


 15年ほど前までは校舎がそのまま残っていたらしいが、老朽化のため取り壊されており現在残っているのは石垣と校庭にあった栴檀の木だけだと教えていただいた。この地区も川沿いの平坦地で米を作り、露地栽培で野菜類を作っている。大規模な出荷量ではなく、林業と兼業で生活していたらしい。どちらも不振で一気に人がいなくなった。亀ノ川地区に近づくにつれて県道脇に廃屋や明らかに居住者のいない家屋が目立って増えている。現在旧校区内から5人の児童がスクールバスにて通学している。