明治中小学校(越知町)  めいじ   へき地級1(1978)
  旧明治村立明治中学校として設立、合併で越知町立に改称後2007(H19)年に休校

 明治中学校のある鎌井田地区は越知町中心部からは国道33号線を松山方面に向かい、宮の前公園を右手に見ながらその先で県道へ右折、右手に堂岡小中学校跡を見ながら仁淀川沿いに走る。以前は仁淀川沿いにくねくねと辿る細い道だったが現在は横畠トンネルが貫通している。トンネルを抜け橋を渡った先で左折した先の集落が鎌井田である。以前は集落の中に木造校舎が建っていたが30年ほど前に新築移転され、集落西の高台にある。高知市方面からは国道194号線を仁淀川沿いに走り、伊野町出来地から県道を走るほうが早い。
 戦後の教育改革で中学校が発足した時期の明治中学校本校は下流の片岡小学校に併設設置されていた。鎌井田には分校があり、鎌井田小学校に併設されていた。ほどなく黒石小学校に統合された鎌井田小学校跡へ移転したため、中学校の併設は数年間で終わっている。移転した鎌井田小学校跡では1978(S53)年まで授業が続けられ、1979(S54)年に鉄筋コンクリートの新校舎に移転している。作者の高校時代にはまだ木造校舎が旧県道脇に残っていたのが記憶にある。

児童生徒数 1953(S28) 1963(S38) 1973(S48) 1983(S58) 1993(H5) 2007(H19)
明治中小学校 152 150 71 40 16 3

 1947(S22)年の設立以来60年間合計1,453名の卒業生を送り出し、この地域のシンボルとして親しまれてきた明治中学校も2007(H19)年3月18日の休校式をもってその歴史を閉じた(正式には3月31日まで)。当日はこれまでの卒業生1,450名全員に招待状を発送し、約400名の出席があり最後の賑わいとなった。今回は学校側および関係各機関の了承を得て、最後の卒業式と休校式の様子を取材させてもらった。学校がなくなる瞬間を簡単に紹介したいと思う。

2007年3月18日(日)
明治中学校卒業式 10:00〜11:10
入場  最後の卒業証書授与
最後の卒業生となる3名(女子2名男子1名)の生徒が拍手の中で入場する。学校長式辞に続いてPTA会長等関係者の挨拶が済んだ後に卒業証書の授与となる。男子生徒のO君が1,453番目の卒業証書を受け取り、学校長とともに壇上で深々と一礼。この後来賓紹介と祝電紹介がある。
送辞 答辞別れのうた
送辞、これは昨年まで下級生だった現越知中2年生女子生徒2人によるものとなった。彼女達は休校が決まった事で越知中に転校した形になったがここで1年間学んでいる。また彼女たちは休校となった黒石小学校最後の卒業生であり、今回の卒業生とは都合6年間同じ学校で先輩後輩として学んだ間柄である。そして卒業生3名による答辞。昼休みに野球がしたいと思っても生徒だけではできず先生にいつも入ってもらった事、1人でも欠席すると何もできなくなるので体調管理に気を使った事など3年間の思い出を代わる代わる話す。続いて別れのうたとして生徒の琴演奏と教職員合唱による「涙そうそう」があり、この頃になると場内あちこちで涙を拭く光景が見られた。最後に場内全員で「仰げば尊し」を歌って卒業式は終了した。
 学校最後の卒業記念写真

明治中学校休校式ほか 11:40〜12:20
校歌斉唱
休校式は場内全員での校歌斉唱から始まった。
  
続いて吉岡珍正越知町長による挨拶、教育長による経過報告があった。開校以来の歴史と休校に至る経緯、中でも2001(H13)年には特認校として山村留学生の受け入れによる生徒増を図ったが結果的には2名入校のみで特効薬にはならなかった事が報告された。次に教育委員長から休校宣言が告げられ、2006(H18)年12月の町議会で休校案が正式承認された報告がありこれで休校式は終了した。
  越知町長と卒業生
今度は校庭に場所を変えて記念碑の除幕式と生徒によるアトラクションが行われた。アトラクションでは三宅島に伝わる三宅太鼓の実演と父兄による花取り音頭の披露があった。その後休校記念碑の除幕式、これは吉岡越知町長と卒業生・学校長の手で行われた。これによって式典はすべて終了し、この後は体育館で懇親会となった。

式典の合間に吉岡町長と話す機会があった。
「これで越知町内は小中1校ずつになってしまい、自分の在任中にそうなってしまった事は残念。初当選(現在3期目)の年に桐見川小学校の休校があり、その時に最後の卒業生が学校が泣いていると言った事は今でも記憶に残っている。当時は学校の統廃合を町が積極的に勧める予定であったがその後から方針を転換して、学校の統廃合は地元の意思に任せることにしてきた。それでもほぼ毎年のように休校が続いてしまった。」当方のサイトの話をして越知町の榎佐古小学校以降の統廃合の歴史と現状を残している事を伝えると「誰かがそういった形で記録に残してくれるのはありがたい事です。」と言われた。

学校玄関には過去60年間の卒業記念写真が飾られている。左から右へ、上から下への時系列であるが生徒数の減少ぶりが一目でわかる。数日後にはもう一枚の写真が追加されるが、それを見る生徒はもういない。厳密にはあと2週間ほど残務整理のために教員が作業する。しかしその教員も明後日には異動が発表され、全員の転任先が決まる。そう、誰もここに残ることはできず新たな学校へ移ることは事前から決定しているのである。

 その後休校となっていたが2015(H27)年3月をもって廃校となった。その際は同様に休校だった旧明治村の黒石小・片岡小とともに明治中体育館にて約150名の出席の中で合同廃校式が行われた。明治中学校の敷地が町有地ではなく借地であることと耐震基準を満たしていないことから再利用については厳しいものがある。