舞川小中学校/北部小中学校(香我美町=現香南市)  まいかわ   へき地級3(1978)
  旧西川村立舞川小中学校として設立、香我美町立へ改称後1963(S38)年に舞川小と統合して北部小中学校と改称。1982(S57)年休校、2004(H16)年に廃校。
 

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53)
児童数 31  29  13 
生徒数 8 31 7 1

注:1968(S43)年以降は北部小中学校としての児童生徒数。


 舞川小学校は旧西川村立として設立されたが、昭和の大合併で西川村が分割された際に香我美町編入となり、香我美町立となった。撫川小学校を統合した際に併設の舞川中学校とともに北部小中学校と改称されたが、1982(S57)年に廃校となっている。



 訪問は2011(平成23)年11月、昨年ちょうど同時期に撫川小学校の訪問をした際に舞川まで出向いて情報収集をしたのだが、その時は時間切れで学校の訪問はできなかった。約1年ぶりの訪問となる。舞川地区に向かうには大まかに4つのルートがあり、北側から時計回りに書くと 1:香美市(旧物部村)大栃経由で県道29号安芸物部線(ちなみにこの県道はいまだに全通しておらず途中で途切れたままの未成道となっている)/2:安芸市経由で林道畑山奥西川線/3:香南市(旧夜須町)手結から県道215号撫川夜須線もしくは林道手結羽尾線(途中で県道に合流)/4:香南市徳王子から県道221号奥西川岸本線経由林道畑山奥西川線がある。香美市(旧香北町)美良布と香南市(旧香我美町)山北から奥西川経由で4のルートに行くこともできる。なお上記の林道は2つとも完全舗装されているのでどのルートも乗用車での訪問に問題はない。
 舞川集落中心は林道畑山奥西川線が県道29号安芸物部線を立体交差によって跨がっており、山中に忽然と表れる立体交差に少々驚く。立体交差のすぐ上に黒塗りの木造校舎が残っていて、校庭跡を挟んでバンガローが建てられている。廃校後は一時期舞川キャンプ場として利用されていたらしいが、現在は休業中。集落のすぐ南には銅山があって、1965年頃まで稼働していた。撫川や仲木屋からも働きに来ており、製茶工場もあり商店が6軒あって賑わっていたらしい。仲木屋には夜須町立(当時)羽尾小学校の分校があって本来は中学校となると夜須中学校へ通学するはずであったが、あまりにも遠距離なので舞川中学校に通学していたと卒業生から聞いた。元々は仲木屋と撫川は同じ東川村だったが舞川は西川村、しかしながら同じ川筋なので見知った間柄というのもあったそうである。



 上流にあった撫川小学校と統合した際に北部小中学校と改称されたが、その後も過疎化はいっこうに減らなかった。まず1981(S56)年に北部中学校、翌1982(S57)年に北部小学校が休校となった。ピーク時の1957(S32)年には児童56名生徒15人合計71人の在籍記録が残っている。舞川小校区内ではピーク時の1960(S30)年頃には500人ほど、現在は5世帯7人となっている。北部小となってからの撫川小校区も含めると校区内にピーク時で700人ほどが住んでいたが、現在は7世帯9人で当然児童生徒の居住は皆無である。手元にある1978(S53)年の高知県教職員名簿によると北部小中学校ともに在籍1名ずつとなっている。小学校は6年生のみとなっており、推測するにこの児童が中学校に進んだ後は新入生の目処もなかったのではないか。3年後にこの子供が中学校卒業と同時にまず中学校を休校とし、時期を置いてから小学校も休校としたのではないだろうか。