桑尾/土佐山東小学校(土佐山村) くわお/とさやまひがし
土佐山村立桑尾小学校として設立、のち土佐山東小学校へ統合後に土佐山小学校へ再統合
1658(S33) | 1963(S38) | 1968(S43) | 1978(S53) | |
児童数 | 159 | 118 | 95 | 56 (西川小と統合) |
桑尾小学校跡は現在の土佐山小学校体育館の東側付近になる。学校の歴史自体は1881(明治11)年の尋常小学校まで遡るが、1975(昭和50)年に西川小学校と統合され、土佐山東小学校と改称された。しかし急激な過疎化と少子化の進行でわずか4年後の1979(昭和54)年に土佐山西小学校と統合され、土佐山小学校となった。1981(昭和56)年に現在の校舎が完成し、往事を偲ぶ痕跡はない。もともと土佐山中学校と隣り合わせにあったのだが、土佐山小学校統合の条件として土佐山村西部地区から学校の灯を消さないという話があったらしく、統合時に土佐山中学校が土佐山西小学校へと施設移転している。
訪問したのは2005(平成17年7月)、学校前を流れる鏡川には鮎釣りの竿があちこちに見える。高知市との合併より半年以上が過ぎたが住民の方に話を伺うと「小回りがきかず、不便になった」という意見が多かった。作者も以前高知市に住んでいたことがあるが、硬直化したマニュアル行政を何度か目の当たりにしたことがある。ところが声を大きくする特定の一部市民や団体にはまったくの弱腰でそれは革新市政から官僚天下り市政に変わっても一緒であった。あるイベントで土佐山村と関わったのだが、小さな村らしい現場での柔軟な対応と判断はすばらしかった。合併でそういった良さがスポイルされていくのなら何のための合併なのだろう。