佐川高等学校日下分校(日高村)  くさか
  1951(S26)年設立、1976(S51)年に閉校

 高知県立佐川高等学校日下分校は日高村にあった定時制分校である。夜間専門で小規模校であったことなどから、日下中学校(現存せず)に間借りする形で25年間存続していた。佐川高校本校の資料では、日下村の強い要望によって設立され閉校までに170名の卒業生を輩出したとある。何度か独立校舎設立の話が浮上したらしいが、1956(S31)年には日高村が財政再建団体に指定されるなど財政難が続き、見送られている。
 設立当初は二階の教室を使用し、その廊下を仕切って職員室としていた。後に職員室は独立した部屋となったが教室は最後まで併用のままであった。伊野町への移転が取りざたされた時期もあったらしいが伊野商業高校の設立でこの案は流れた。主にこの学校を必要としたのは佐川本校や高知市内まで通う時間的経済的余裕のない地元青少年であった。特に農業に従事する生徒は夏場の登校が日没になってしまうため、定時制最終時限の4時限目が終わるのが午前零時頃になるのがしょっちゅうだったらしい。このため佐川本校から出張していた教師は最終列車に間に合わず、隣の日下小学校宿直室に寝具一式を常備していた。農家繁忙期には1週間程度の農繁休暇も認められていた。閉校は交通事情の発達や経済事情の変化で地元入学者が大幅に減ったことと、分校の運営費は設立当時の経緯から日下村合併後も日高村が全額負担しており地元民が少ない中での負担が考慮されたらしい。

 日下中学校に間借り

 日下中学校

 訪問は2012年6月、前述のように元々校舎はなく日下中学校に間借りしていたのだがその日下中学校も日下分校閉校の2年後に能津中学校と統合されている。日下中時代は日下小学校と同じ敷地内にあったが、統合後は日高中学校として新築移転しており記念碑が残るのみである。

 現在の日下小学校(かつて右端付近に日下中学校校舎)
   
 農村の青年の学歴向上ということで夜間専門の分校として設立されていたが徐々に地元よりも高知市内からの生徒が増えるなど当初の目的と変わってきたことや、校舎老朽化と中学校統合に伴う新築移転などがあって閉校となったそうである。校舎は現在の日下小学校の東端の一段下側にあった。ちょうど日下分校と日下中学校両方の記念碑が残っているあたりである。