黒石小学校(越知町)  くろいし   へき地級2(1978)
  旧明治村立黒石小学校として設立、合併後に越知町立黒石小学校に改称

 黒石小学校は1949(昭和24)年に当時の旧明治村にあった2つの小学校を統合して誕生しており、その歴史は比較的短い。鎌井田小学校と榎佐古小学校が統合されているが、校舎の老朽化と中学校併設に伴う生徒増などが理由だったもよう。後年の合併で明治村は越知町と合併して消滅しており、詳細は不明であるが卒業生や地元の古老からの聞き込みではそういう理由だと言われた。
 黒石小学校の場所は標高52mの鎌井田集落から山道を駆け上がった標高280mの山間になる。学校統合時に両校の中間地点に設けるという合意があったため、このような場所になったそうである。鎌井田周辺からは車道とは別に専用の通学路が造られ、児童はこの道を通っていた。とはいえ標高差でわかるように時間こそ短いものの、これは通学路というよりは登山道に近い。2006(平成18)年3月をもって越知小学校に統合され57年にわたる歴史を閉じている。その後休校となったままであったが、2015(平成27)年3月に廃校となった。

児童生徒数 1953(S28) 1963(S38) 1973(S48) 1983(S58) 1998(H10) 2005(H17)
黒石小学校 148 145 62 41 20 2

 訪問は2007(平成19)年3月、今回は児童が長年通った通学路を歩いてみることにした。出発地点は鎌井田小学校跡下、鎌井田簡易郵便局の横である。7時15分集合と書いてあるがこうなったのは最近らしく、それまでは地区の高学年生に連れられ集団登校し、上の地区から下ってくる中学生に「今、何時?」と聞いていたそうだ。集合場所からは車道を歩いて明治中学校へと向かう。出発地点の時計は既にその仕事を止めており学校がなくなった事を身を持って示している。この車道はバイパスができるまでは県道であった(ただし狭い)。
 集合場所
 明治中学校の体育館横を抜ける
 一応コンクリートで固めてある
 車道と交差する場所には看板
 ちょっとだけ車道に合流、すぐ分離
 分岐点には「学校坂道」と案内、時計もある
 どう見ても通学というよりハイキングっぽい
 しかも途中には猪の飼育場跡らしきものも
 振り向けば高度感あふれる仁淀川の眺め
 2回目の車道合流、横切ってここからさらにきつくなる
 這い上がるように登ると校庭が見えてくる
 
 鎌井田の集合場所からは標高差228m、子供達はだいたい40分から50分程度で通っていたらしい。旧県道と分かれて明治中学校の体育館横を入っていく。神社の脇を通っていよいよ本格的な坂道の開始である。コンクリートで固めた道はお墓の横を抜けてまず一回目の車道合流。50mほど車道を歩いて右カーブの途中に分岐がありここで左に。雑木林を抜けると畑が広がり、振り返ると結構な高度感をもった眺望になり手の届くような位置に仁淀川が流れている。畑を過ぎると2回目の車道合流地点、ここはすぐに横切ってまた雑木林の中に入っていく。ここからは這い上がるように一気に登り、あえぎながら登るとやがて体育館の基礎部と校庭が見えてくる。最後の階段を上ると遊具が見え、ここで坂道は終了する。途中2回目の車道合流地点までは途中に畑もあって道も手入れされていたが、その先は通学路専用で落ち葉と雑草が道を埋めつつあった。中間地点に建てられていたものの、この20年近くは上部の旧榎佐古小学校校区からの通学児童はいなくなりもっぱら旧鎌井田小学校校区からの通学のみであった。


 再訪問は2015(平成27)年6月、旧校舎時代の写真が入手できたので比較のために訪れた。町道を挟んで100mほど先にあるプールには錦鯉が放されており、学校としての歴史が絶えた事を実感させられた。

 旧校舎(1951〜1978まで)

 同位置から

 現校舎(1978年完成)

 プール跡