久重小学校(芸西村)  くえ
  東川村立九重小学校として設立、編入合併により芸西村立となり1976(S51)年廃校

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43)
児童数 58  48  21 



 芸西村和食から県道216号線を北上、約11kmほど走った先の標高270mの高台に久重小学校跡がある。現在は芸西山の家が建てられており、その看板を目印にしていけばわかりやすい、時間にして20分少々である。和食から2kmほどで1車線の狭い山道になり、見通しも悪く神経を使う。
 学校の設立は1874(M7)年、当時はやや上流にあったらしい。その後現在地に移転して東川村の分村による編入合併を経て102年後の1976(S51)年に廃校となった。


 訪問は2008(平成20)年12月、前述のように既に学校校舎は建て替えられて芸西山の家となっている。旧校区は久重・板淵・大屋敷・宇留志・白木山・道家・の6集落、最盛期には70名ほどの児童がいたらしい。このうち板淵・大屋敷・宇留志は1975(S50)年までに下山離村、、ともに現在は居住者皆無である。かろうじて久重に2世帯3人と道家6世帯7人・白木山(地図によっては国光と表示されている)2世帯3人の住民が残っている。宇留志は既に杉桧の中に埋もれており、板淵・大屋敷も似たような状況ではないかと思われる。
 道家大野家には芸西神楽が伝承されていたが1967(S42)年秋を最後に絶えており、何度か復活を模索したものの叶わないまま今日に至っている。芸西神楽は同様に絶え果てた相名(馬路)神楽とともに紀州熊野神社の直系らしく、他の土佐神楽とは異なるらしい。既に神楽の舞が絶えて40年余になるが道家集落には今でも手入れされた神楽舞台の神社が残っている。すぐ後ろにはご神木であろう巨大な桧がそびえ立ち、その歴史を思わずにはいられない。

道家神社

 2015(平成27)年3月、高知を訪問されたHEYANEKOさんに同行し再訪した。旧校区は九重1世帯2人道家3世帯6人となって、白木山に昨年末まで1世帯1人が住んでいたがとうとう山を下りたそうである。また板淵は羽尾からの道路拡張とその残土処理でほぼ跡形がなくなっているそうである。