コラム
★日々のニュースなどで作者の思ったことを綴っています。
06/12/02 「団塊の世代移住」
各地で団塊の世代移住について様々な優遇策を打ち出しており、遅ればせながら高知県内でもその動きが出ている。しかし冷静に考えてみればどういったメリットがあるのだろう。過疎化が進み集落の維持さえ困難な場所に何らかの形で定住人口を増やし結果として地元消費増加やヘルパー増加による雇用増が考えられる。そして一時的には高齢化が進み負担の大きくなった国保事業や介護保険負担で受け入れ自治体も潤う形になるだろう。
しかしいずれは移住者も歳を取るわけでその時に彼らがその地に骨を埋める覚悟があるのだろうか。それに田舎暮らしというものは決して気楽なものではなく、濃厚な近所付き合いと無料奉仕による役務負担の連続である。その中に退職後は自由気ままにのんびり過ごしたいという意識での移住が果たしてどれほどのメリットを相互にもたらすのだろう。そういった点での論議がなされないまま、この壮大な姥捨て山計画は進められるのであろう、「美しい国」という中身のない幻想に踊らされて。
06/08/03 「史上最低の茶番劇」
ボクシングWBAライトフライ級王座決定戦で不可解な判定が出た。ご存じの通り亀田興毅が2−1という微妙な判定勝利でチャンピオンとなった。その内容は酷いもので初回にダウンを奪われ、11Rにもダウン寸前に陥った。特に8R以降は明らかなスタミナ切れになり、劣勢は明らかであった。作者なりに判定してみたが117−111でファン・ランダエタ選手の勝利だった。ボクシング(それ以外の競技でも多いが)には時々不可解な地元判定がある。日本選手もその洗礼を味わっており、古くは関光徳vsハワード・ウィンストン戦やファイティング原田vsジョニー・ファメション戦などがある。それでもここまで露骨な判定は近年では珍しい。いや最早地元判定などという生やさしいレベルではないだろう。ろくに効きもしないパンチを声援だけで誤解してポイントにしても、あんな採点には絶対にならない。
もともと亀田の実力は疑問視されており、おまけに礼儀知らずとパフォーマンスを勘違いしている愚かなボクサーである。そこに親子鷹の苦労話をはさんでのいかにもテレビ受けする軽薄な内容、ボクシング技術そのものもまるで深みのない薄い内容であった。防御センスのかけらもなくリードブローのないまま力任せのテレフォンパンチを振り回すのみ、今までの無名選手ならともかくまともな世界ランカーである昨夜の相手に通じるわけがない。何故これほどの人気ボクサーの世界戦をウィークデーに行わなければならなかったのかという疑問点もあるが、この際判定ほどの疑問にはならないので置いておく。
いずれにしろ2006年8月2日という日は日本ボクシング界史上最低の茶番劇の上演日としてその名を残すであろう。歴史に残る大茶番劇をリアルタイムで観ることができ、幸せだったと思うしかない。出来ることならば日本人の一人としてファン・ランダエタ選手とその関係者そしてベネズエラ国民に土下座をしたい気分である。これまでの亀田興毅の人間として最低の振る舞いを指摘しないままリングに上げ続けたTBSの責任は重い。今すぐタイトルを返上するよう亀田側を説得するべきだ。勝ちは勝ちとして残ったのだから、亀田が負けた場合に裏で損をする連中の顔も立つだろう。
06/06/30 「やはりFW」
明日から準々決勝が始まり、既に24チームがドイツを去ることになった。前評判が高かったものの、何らかの理由で勝利の女神に見放されたチームも多い。
まずFIFAランク2位でタレント揃いと言われたチェコ、エースFWバロシュが怪我で万全ではなく一次予選途中でコレルも離脱した。このためネドヴェドを筆頭とする中盤の充実ぶりも最後はFW不足に泣いた。続いてオランダもファンニステルロイの不調が響き、伝統の4-3-3システムも最後はロッペン頼りにならざるを得ずこちらも決定力不足で姿を消した。スペインもラウルが本調子であればもう少し違った結果を出していただろう。22歳のフェルナンドトレス一人に頼るのは少し早すぎた。善戦の目立ったコートジボワールも攻撃はドログバが起点となっており、ドログバを徹底マークされるととたんに攻撃力が落ちた。スイスに至っては大会無失点で敗退するという珍記録を打ち立てたが、基本的には決定力不足が目立っていた。
惨敗でドイツを去った日本代表を重ねるのは少々おこがましいが、やはり決定力不足が大きな敗因であった。サッカーとは点を取るスポーツであり、いくら堅守を誇っても点が入らなければ勝利は不可能だ。実力がありながら失意のうちにドイツを去ったチームを見ると改めて点取り屋の重要性を認識する。残る8チームの中で一番FW陣の層が薄いのはイングランドであるが、ベッカムからのロングボール多用というスタイルのままで勝てるだろうか。もっとパスをつないでジェラードやJ・コールを生かした戦法はとれないのだろうか。
06/06/23 「中田の涙」
ピッチに横たわったまま号泣する中田英寿の想いを他の日本代表メンバーの何人が理解していただろう。3試合とも攻守に奮闘し、確実なコンディションを維持できていたのは中田英のほかにどれだけいたのだろう。初戦の惨敗こそ戦術ミスもあったが、予選全般を通じてコンディショニングの面では失敗ではなかっただろうか。移動中の飛行機で風邪を引いただの、疲労で両足が痙攣しただのあまりにもお粗末すぎる。親善試合とは違う真剣勝負の意味をどこまでわかっていたか。戦力を冷静に分析すれば初戦を落とした時点でほぼ予選落ちが決まっていたのに、たかがコンフェデ杯の善戦程度でブラジルに勝てるなどと夢を見すぎたサポーター側にも甘い思いこみがあった。
中田英寿は今回の大会をサッカー人生の集大成にしたかったはず、29歳というサッカー選手の円熟期に迎えた大会に賭けた想いがあの涙になったのであろう。この大会をもって日本代表を引退するのではないかという意見が根強い。しかし、4年後を見据えた時に世代交代の橋渡しとなる経験を持つのはやはり中田英寿意外には考えられない。同じように一度は代表から退いたジダン・フィーゴ・ネドヴェド達もワールドカップに対する思い入れから第一線に復帰してきた。過去2回の大会で冴えなかったベッカムですら、今大会では慣れない守備に奮闘している。
中田英寿のプロとしての姿勢、あの涙の意味を理解しない限り次のステップへは到達しない。もはや「よくやった」だの「健闘した」といった段階は過ぎ去っている。その事を一番理解している中田英寿はこの後どういう道を歩むのだろう。
06/05/15 「ドイツへ」
「ワールドカップメキシコ大会一次予選85/3/21国立競技場 対北朝鮮」という一枚のチケットが手元にある。この試合に勝ち、平壌でのアウェーとシンガポール戦を経て最終予選に進出。そして伝説となった木村和司のフリーキック韓国戦へと続く道のりだったように記憶している。中2の時に寝ぼけ眼で見たケンペス(アルゼンチン)以来、この4年に一度のイベントは寂しい思いをしながらも欠かさず見ることとなった。残念なことに見るだけで実際私は高校2年まで身長が150cm足らずで自分でサッカーをやる機会はなかったし、当時高知はそれほどサッカーが盛んではなかった。
80年代後半は東京にいた事もあり、オリンピック予選やトヨタカップあるいは当時の日本リーグなどもよく見に行った。上で述べた寂しい思い、それは日本がサッカーでからきし弱かったことに尽きる。翌イタリア大会予選に至っては一次予選であっけなく敗退、国立での「横山(当時の代表監督)やめろ!」コールと降り注ぐ紙コップ・メガホンは今でも覚えている。それ以外に観客席も今のような熱気はなく、いつも見受けられたのは「日本サッカー狂会」の面々ぐらいであった。本当にこの頃はワールドカップ出場は遠い世界であり、まして1勝なんて誰も考えられない時代だった。
日韓大会でロシアに勝った時は本当にうれしかった、きっと現場にいたら号泣したかもしれない。興奮のあまり部屋の中で飛び跳ねて右手を壁にぶつけて内出血し、後日ヒビが入っていたことが判明し失笑を買った。地元開催でシードもあった前回大会に比べるとドイツでの勝ち上がりは楽ではないだろう。ドイツの後を考えてもジーコジャパンの主力はトルシエ前監督から引き継いだ形となり、世代交代が進んでいない。次は誰が監督になるのかわからないが、ここで日本が本当に世界の仲間入りを果たすのは続けて成績を残すことだろう。一発屋で終わってはならない、それは日本だけでなくアジアのサッカー界のためにもならない。今日選ばれた23人のメンバーはその事を肝に銘じて、ドイツで戦ってほしいものだ。
06/04/29 「自己責任」
この10年来自動車整備工場と一切関わりがなくなってしまった。日常の整備や車検というものをすべて自力で行っている。事の発端はマイナーな輸入車を中古で買ったところ地元の正規ディーラーから整備はおろか部品の供給すら拒否された事から始まっている。まあこのあたりは売り言葉に買い言葉の部分もあるが、その時点で意固地になり自力でメンテを行うようになった。幸いな事にインターネットを通じてその車種の情報が入手でき、県外の正規ディーラーから部品供給とアドバイスを受けられるようになった。
勢いというのは恐ろしいもので仕事用に買った軽自動車も全部自力でまかなっている。ユーザー車検というものは決して安い事がメリットではなく、自己責任で車に乗ると言うことである。自動車という工業製品は消耗品の固まりであり、その交換サイクルは最低限メーカー指定の基準を遵守するべきである。私が自力でいろいろやっているのを知っている知人や近所の方から「安くあげる方法」について質問をされるが、そんなものは絶対にない。部品代は純正品をディーラーで買おうが汎用品を部品屋で買おうが個人も業者も大きな違いはない、せいぜい修理箇所によって新品を使うかリビルト品を使うかで違う程度である。それも探せばいくらでも入手方法はある。結局工賃が一番の問題であるが、実際に自分でやってみるとこれも時給換算では大して変わりない。
プロの整備士はそれなりに消耗品のヤレ具合を経験で判断する、そういった点ではユーザー車検というものはすべて自己責任にかかると思う。それなりのリスクを負って乗る事を単に金額面だけで判断してもいいのだろうか。自動車を整備するとなると信頼のおける工具も必要だ、そういったコストも当然料金に含まれるのは当然である。私の購入した工具代はこの10年で20万円近くになる。そして分解整備に関してはすべて自己責任というリスクを背負って行っている。
06/02/13 「10人目」
作者は旧池川町のある集落で農地を借りている。果樹を植えているだけだが、夏場は週に一度は訪れて草刈りや害虫駆除をしている。ここに通うようになって5年になるが、去年の暮れに一人亡くなりこの5年で10人目となった。この方の連れ合いはそのまま山を下りてしまい、標高500mのこの集落からあっという間に人がいなくなった。一軒に一人残っているだけである。作者の借りている土地は車道終点から200mほど上った集落の最上部になり、ここにも家があるがこちらは無人となってもう20年は経つ。持ち主は関西在住で一昨年に先祖の墓もすべて移転したので、もう帰って来ることはないだろう。
人が住まなくなると家は急に綻びを見せる、既に崩れた家もあり5年間の間に静寂が主役となってしまった。日本中の中山間地域で当たり前のように繰り広げられている光景だろう。周りには放置された杉檜の人工林が広がり、保水力は大幅に低下している。5年前に植えた果樹とともに、この先をただ傍観するだけでいいのだろうか。自分にできる範囲の何かを考えればいいのだろうか、現実には雨が降るたびに崩れる道や水源の確保だけで精一杯なのだが。
05/12/06 「裁く権利」
バグダッドで再開されたサダム・フセイン元イラク大統領の戦争犯罪裁判は裁判の合法性を巡って激しい応酬で幕を開けた。侵略戦争の勝者が敗者を裁くのは傲慢以外の何者でもなく、そこに何の公平性が存在するのか。東京裁判ですら検察体制や罪状とその翻訳体制でかなりの不備があったことは明白であり、同じ過ちをここで繰り返すのはアメリカの思い上がりも甚だしいの一言に尽きる。もちろん、フセイン元大統領の行った圧政についてはまったく同情の余地はない。特にクルド人に対する執拗な弾圧は犯罪に等しい。しかしそれを裁く権利がアメリカにあるのか疑問である。アルカイダそのものの存在すら疑われる状況になりつつある今(ビンラディンのテロ関与は間違いないとして)、フセイン元大統領が大量破壊兵器を所有したことやテロ組織との関連は当のアメリカの調査機関によって否定されつつある。
もはやアメリカは己の好戦主義のすり替えのために何が何でもフセイン元大統領を裁くしかなくなっており、そこに裁判の公平性を求めることすら不可能である。戦争とは国家犯罪による闘いの場であり、その勝者が得る物は一方的な権利のみである。その片棒を我々日本が担いでいる、それは悲しき事実ではないだろうか。
誤解を招きたくはないので追記。決して東京裁判自体を完全否定したくはない、ただ戦争という国家犯罪を個人にかぶせての意義がないと思うし、国際司法上において戦争は無罪にならざるを得ない。東京裁判否定者が引き合いに出すパル判事判決書も原爆投下の犯罪性を指摘するなどの価値はあるが、パル判事の思想が日本軍と組んでインド独立を画策しようとしたチャンドラ・ボースに極めて近いものがある。民族自立でいくのか、大国追随でいくのか、その判断と実行方法を誤り愚行を引き起こした日本が今になって飼い犬以下奴隷並の従順さでアメリカに追随する、その首相を結果的に選んだことをどれほどの国民が理解しているのだろう。
05/11/28 「ヴィッセル神戸の向こうに」
不振を極めていたJ1ヴィッセル神戸がついにJ2降格決定となった。昨年経営権を譲渡された新オーナーは「1,2年で常勝チームを作る」と豪語していたが、その2年目に降格、ついでにいうなら「3年目には絶対に獲る」と行ったタイトルは皮肉にもJ2のタイトル(うまくいったとして)になりそうである。もっとも戦力バランスを考慮しない素人のトップダウンによる話題性のみを優先したチーム作りでは結果は見えていた。話題先行のみを考えて戦略的にもフィットしないベテラン選手や素行に問題がある外国人選手を採り、少しでも結果が出ないと監督からフロントをシーズン中に平気で入れ替える。これでは指揮系統は混乱するし、現場の士気は上がるはずもない。しょせん「プロスポーツのあるべき姿」を持たない、ワンマンオーナーの無様な無能ぶりをさらけ出しただけであった。
同じオーナーであるプロ野球楽天球団はこの失敗を活かしたのか、大きな戦力補強はしていない。しかし報道を見る限り根底に流れる姿勢は一緒で、利潤優先が第一で戦力を投資効果でしか判断していない。いくら企業とはいえプロスポーツというものは勝負あってのものであり、企業メセナである部分は否めない。そのあたりをわからないオーナーとは思えないが、このままでは同じ道を歩む気がしてならない。
05/08/18 「ドーハ発横浜着」
昨日のW杯アジア予選最終戦で密かに願っていたことがあった。それは日本が勝ち、なおかつアリ・ダエイがゴールを決めてくれること。結果的に願いが叶ったのは周知の通りである。思えばダエイは日本が初めてW杯というものを真剣に身近に感じたドーハでの最終予選『ドーハの悲劇』以来常にアジアの中で立ちふさがってきた大きな存在である。ダエイはこの1993年にAマッチデビューを果たし、ドーハでの日本戦でゴールを決め日本を追いつめた。以来アジア屈指のCFWとして名を轟かせてきた。ドーハからの日本戦には必ず出場し、4年後の『ジョホールバルの歓喜』でも日本を最後まで苦しめた。日本以外にも優勝候補の韓国を完膚なきまでに叩きのめした1996年のアジア・カップ、特にこの韓国戦はブンデス・リーガ移籍につながる大きな転機となった。
36歳という年齢を考えるとイランの国民的英雄と呼ばれる敬虔なイスラム教徒のユニフォーム姿を日本で見るのはおそらくこれが最後であろう。1995年にジュビロ磐田が契約寸前までいったという噂が有ったが、Jリーグでその勇姿を見たかった気もする。昨日の対戦では事前にトレーニング不足という情報があったが、ゲーム中はかつてのダエイそのものだった。ポスト直撃でかろうじて逃れた先制シュート、GK川口が反応しながらそのわずかな先を抜けた反撃のPK。ドーハの最終予選をテレビで見ていて驚愕した打点の高さ、身体能力のすばらしさ。以来12年の時を経てAマッチ105得点の偉大な記録を持つ近くて遠い同じアジアの偉大な英雄が横浜で見せた輝きは決して忘れることはない、来年のW杯本大会で再びその勇姿がゴールを決めることを切に願う。
05/08/12 「20年」
実は私は飛行機が大嫌いだ。大阪までの移動ならJR(フェリーがあったときはフェリー)、遠隔地でも時間が許せばJRか高速バス。決して経済的な問題ではなく理由がある。あの日から20回目の夏が20回目のあの時間が来る。当時私は東京に住んでいて会社の夏休みで自転車旅行をしていた。その日は長野県の川上村梓山(三国峠西)の河原でテント泊をしていた。もう細かい状況は憶えていないがたしかに夕暮れの中を飛行機の飛んでいく音を聞き、近くで作業していた農家の方と「こんなとこで飛行機は珍しいね」という会話をし
てトマトを貰った。ラジオも持っていなかった私は翌日三国峠を越え中津川林道を走り途中パトカーの多さに首をかしげながら自宅まで走り驚愕した。そう、あの飛行機は間違いなく御巣鷹尾根に墜落した日航123便だったのだ。
ただそれだけのことであったが私は自分が寝ていた場所から直線距離にしてわずか8kmの一つ山向こうであのような惨事があったことが物凄くショックであった。しかも上野村には奥多野館という温泉宿があり、そこはサイクリストのたまり場となっていたこともあって私も何度か泊まった、そのすぐ上流である。秋になって奥多野館へ行った際現場途中まで行ってみたが(作業員の弁当配達という用事を手伝ったこともあったのだが)、生々しい傷跡に言葉も出なかった。そして私は飛行機に乗れなくなった。何とか飛行機に乗れるようになったのは最近のことだが、それでも未だにかなりの緊張を強いられる。高知東京間で約1時間これが私に耐えられる限界である、海外は絶対に不可能だ。私なりに大きな衝撃だった夏から20回目の8/12
18:56が来る、今年も祈りたい。
補足:古い話で恐縮だがこの墜落事故の事故調査員会(事故調)の発表には未だに大きな疑問を感じる。私は航空機の構造については無知だがそれでも納得しがたい、事故調の発表した「圧力隔壁が相模湾上空で破壊し尾翼を 破壊」という経過である。圧力隔壁は客室内の気圧と外部の気圧を遮断するものらしいが、これが破壊されたということは客室内気圧が外気圧と同じ状態になっ たということである。相模湾上空での日航123便の高度は約7,200m前後、一方客室内気圧は与圧でほぼ地上と同程度に保たれている。北米最高峰のマッ キンリーが6,194m、長谷川恒男氏が亡くなったカラコルムのウルタルが7,388m、ここらあたりになると充分な高度順応時間が必要である。私は登山が好きだが、体調によっては北岳や白馬岳の3,000m級でも高山病の症状になることがある。つまり一瞬のうちにこんな高度に晒されたら普通の人間は只ではすまないのである。頭痛・呼吸困難・嘔吐・脱水症状・意識不明といった症状が必ず起きているはずだが、生存者の話でもそれはない。まさかこの飛行機には特異体質の人間が500余名乗っていたわけではあるまい。例の修理ミスでたしかに隔壁から与圧された空気が漏れたのは間違いはないようだが、圧力隔壁の破壊はなく現場での墜落の衝撃で破壊されたのではないか。尾翼が破壊され操縦不能に陥ったのは別の原因があるのではないか、そう思う。
05/06/22 「三権分立」
昭和の大合併について調べているうちに1956(昭和31)年公布の「新市町村建設促進法」という法令にたどり着いた。この法令は合併後の各種行政機関の効率化とその予算について厳しく制定しいる。要するに合併後の各種地方行政機関の統廃合をお金で縛り付けたわけで、この法令の中には小中学校の統廃合にも触れており、一定の規定を設けて猶予期間を与えた上での統廃合を実質的に義務づけた訳である。昭和の大合併が残したものは地方の衰退と疲弊以外の何者でもない、にも関わらず同じ過ちを半世紀後に押しつける官僚政治、何かが絶対に間違っているのではないか。合併だけが地方の衰退につながったわけではないが、国家として政策の問題もある。しかしその中心にいるのは机上の論理だけを押しつける官僚政治であり、三権分立が形骸化している現状でそれを今更議論をすり替えて「抵抗勢力」だけで片づけて、地方対都会の方向に世論を誘導する姑息な行政とその先鞭に乗った立法すらできない愚かな政治家、見ているだけで悲しくなる。こういう意見を述べると抵抗勢力で片づけられるのだが。
05/06/04 「経験」
昨夜(正確には今朝だが)のバーレーン戦でかろうじて日本は王手をかけた。日本が苦戦している理由の一つには予選出場の問題があると思う。日本は前回主催国だったために予選免除での出場となった。そのため厳しい予選出場を勝ち抜いた経験を持つ選手が中田英寿と川口能活しかいない。ことに日本は前々回のフランス大会での出場経験しかない。経験というものは何者にも代え難い財産である。
フランスでさえ、現在欧州予選で苦戦中である。フランスは実のところ予選経験が12年ぶりになる。前回の日韓大会は前回優勝国で予選免除、前々回のフランス大会は開催国のため予選免除。フランスに関しては細かく言うと1986年のメキシコ大会以来は予選突破の経験がない。メキシコ大会では将軍プラティニ率いるタレント軍団が1982年のスペイン大会以後熟成を重ねていた。しかしプラティニ引退後の世代交代に失敗し、2大会連続で出場を逃す事態となった。自国開催にむけて必死の強化が実り、ジダン中心のチームで悲願の優勝を達成したのは周知の事実である。しかし現状を見る限り、やはりジダン以降の世代交代に失敗した感は否めない。フランスはヨーロッパ予選の4組で首位に立っているものの内容はあまりにもお寒い。勝ち点で首位にいるものの6試合でわずかに得点は5、今後は勝ち点差1の差ながら得失点差では上回るスイス・アイルランドとアウェイで戦わねばならない、おまけにこの2国とはホームでスコアレスドロー(つまり0−0)で終わっているのだ。今のフランスチームには修羅場の経験を持つ選手がいない。
だが、日本にはまだその経験を持つ選手がいる。もちろんフランスのこれまでの実績と日本の実績を比較することはあまりにも失礼である。サッカーのビッグ6(ワールドカップでの優勝経験のある国)と日本を重ね合わせることは無謀だと思う。しかし現状を見て経験というものが何者にも代え難いということを改めて認識するにはじゅうぶんではないだろうか。これはサッカーに限らず、日常生活においても言えることではないか、インターネットは我々の生活を激変させたがバーチャルの世界はあくまでリアルの上にあるもので、決して万能ではないと思う。
05/04/01 「船旅」
高知大阪間を結ぶ(株)高知大阪特急フェリーが昨日自己破産を申請した。2隻運行から1隻になり、隔日運航となるなど経営悪化は感じていたし、伝え聞く噂でも良い話はなかったとはいえやはり残念だ。
当年不惑となる作者の世代ではまだ船旅が身近であっただろう。在京時代には飛行機恐怖症ということもあり、いつも鉄道を利用していた。宇高連絡船に乗り、デッキで讃岐うどんを食べる、その瞬間に「ああ、帰ってきたなあ」としみじみ実感したものである。冷静に考えればあくまで四国に渡る途中であり、まだ高知までは数時間を残す行程であった。でも、瀬戸内の潮風に吹かれながら食べるあのうどんの味は紛れもなく故郷に近づいたという感触を呼び覚ますものだった。逆に東京へ向かう時にはこのうどんを食べることが何かしら最後の儀式になっていた。わずか1時間の船旅だが、偶然知人や同級生に出くわすなどの思い出は尽きない。
高知大阪特急フェリーも中学生の頃から数え切れないほど利用した。低料金で夜出て朝着くという有利さは土曜日の夜に出て、大阪でコンサートや野球・サッカー観戦(当時こういう人間は稀少だったが)に行くことができ、月曜日の朝帰ってそのまま学校へ行くという予定が組めた。社会人になり東京を引き払って高知に帰ってからも様々な形で利用した。大阪・名古屋方面への出張以外でも、自動車の個人売買を航送で送ってもらい高知港で受け取ったことも何度もあった。もちろん、高速道路の整備に伴い、高速バスやマイカーへのシフトが進み、競争に敗れた結果があることは承知である。
いま高知からの航路(フェリー)はこの高知大阪航路以外にマリンエキスプレス社の日向−高知−川崎航路がある。これは図宇年前に廃止されたブルーライン社の高知−東京航路に替わる航路として誘致された。この航路も燃料費の高騰により廃止が検討中である。様々な要因があってこの航路は未だ利用したことがないのであるが、ブルーライン航路のころは何度か利用した。豪華船とは言えない代物だったが、やはり船旅独特の味わいがあった。そういった効率だけで割れない何かがまた消えていくとすれば返す返すも残念である。幸いにも高知大阪特急フェリーは破産管財人のもとに経営引き受け会社を探し、当面は運航を継続するという。頑張ってほしい、所用あるいは旅行で使う可能性があるときは最優先で利用をしたいと思う。
05/03/22 「合併破綻」
高岡郡佐川町で一昨日行われた日高村との合併を問う住民投票は反対多数で、両町村の合併協議は破綻することがほぼ決定的となった。以前にこのコラムでも触れたが、高吾北5ヶ町村の合併協議破綻後すぐに日高村との合併協議に移るというまず合併ありきという姿勢だけで突き進んだツケがここに出た。たしかに三位一体改革の中、単独自立が難しいのは承知している。しかし隣接しているとはいえ両町村の結びつきはあまりにも唐突で、これまでの行政関係からも今ひとつ納得ができなかったのは事実である。
合併調停に調印してからの破綻は県内初というが、実際の調印内容はお寒い内容で玉虫色の謳い文句ばかりが目立つ貧相なものであった。職員の給与問題や合併特例債の使用についても先送りしただけのまったく意味をなさない協定書であった。昭和の大合併を見てもわかるように、合併はその地域の将来を大きく左右する。それなのに不十分な説明とお粗末な協議内容だけで住民を説得できると踏んでいたのなら、あまりにも住民を馬鹿にした話であり、今回の結果はその報いである。
05/02/28 「PL法」
3年前に購入し自宅で使用していた湯沸かしポットが故障した。某女優を使ったコミカルなCMで有名なメーカー製である。お湯は沸くのだが肝心のお湯を注ぐことができない、要するに給湯ができないのである。ボタンを押して電動ポンプで給湯するタイプなのでこうなるとどうにもならない。かつて電機メーカーに在籍したのはもう20年近くも前、それも通信機器が専門だった。しかし一応私は電気科出身なのでこのぐらいなら何とかなる(と勝手に思っている)。分解し揚水ポンプを取り外し、久しぶりに可変電圧電源を取り出す。基盤の電圧が不明だがだいたいは5Vか12Vなのでまずは5Vで直接ON、うんともすんとも言わない。12Vまで上げても沈黙、恐らくこの揚水ポンプ=モーターの故障で間違いない。
Webでメーカーサイトを探し、お客様相談センターの電話番号を見つける。事情を説明するが「まず最寄りの電気店から修理依頼をお願いいたします、その後メーカーに送ってもらって修理見積をいたします。」の一点張り。少々(いや、かなり)腹が立ち「この部品だけ送れ」と言うが「お客様が分解すると危険です、PL法という法律が・・・」とPL法の説明を始め出す。「あのね既に分解してモーターだけ手元にあるの、電圧かけても動かないからこれが悪いのは明白。あとは自分の責任で処理するし、一筆書いてもいいから部品だけ送って。」と主張するが「PL法というものは・・・」の繰り返し。ま、コヤツラも実際は人材派遣会社か外部委託のコールセンターだろうからマニュアル外の対処は言うだけ無駄だろうねと思い、電話を切った。
電気製品に限らず最近はこのパターンが多い。基本的にまず故障したら分解して構造から考えるタイプの私はこのPL法というメーカーの言い逃れに立腹することが多々ある。自動車もそう、ガス釜もそう、エアコンもそうであった。次壊れても自己責任というのは理解しているし、そのことでメーカーの責を問う気もない。なのに、消費者と向き合う姿勢の見られるメーカーはない。これでは製造業の未来はどこにもない。
なお件のポンプについては意地になってその型番からポンプ製造メーカーを突き止め、直接連絡をした。先方は一エンドユーザーからの電話に大層驚いていたが申し訳なさそうに「その型番はもうモーター自体が製造中止でしてウチにも在庫ないんですよ、ポットメーカーさんが何千個って発注してくれて初めてモーターメーカーが何とかまとめて作っている状態です」と話してくれた。電話口の相手は技術屋さんらしく使用しているモーターの定格を教えてくれ、「電圧と容量の誤差が±5%でしたら別のモーターでも理論上はいけますが、大きさがあまり違うと放熱の問題も出てきますね」と教えてくれた。ここまで来るともうヤケである、秋葉原の電器商を片っ端からあたり何とかモーターを入手した。一連の電話代と部品代および送料を考えると素直に修理に出した方が安かったかも知れない。ま、一個人のあがきなんぞ所詮はこんなものだと思っておこう。
04/11/07 「思い上がり」
11月17日に行われるW杯一次予選最終戦対シンガポール戦の代表メンバーが発表された。ジーコ監督が唱えていたベテラン達の功労者招集はひとまず見送られる事となった。この提案自体、実にふざけた話である。数あるスポーツ大会の中でもサッカーのワールドカップというものは特別である。アマチュアだとかプロだとかの資格制限や年齢制限もなく、国同士のぶつかりあいである。例え二次予選進出が決定し、無理をすべき試合ではないとはいえ、元代表を集めた慰労試合などとは相手国にとっても失礼千万だし、奢り以外の何者でもない。
ジーコ監督の主張する趣旨はわかる、しかしその舞台はこの試合ではない。代表のユニフォームを着る重さ、その試合の大きさ、何よりもそれを一番知っているのは他ならぬジーコ監督ではなかったのだろうか。こんな思い上がりをするほど日本は強くなったのか?否、日本にしろ韓国にしろ地元開催の大会で出して当然の結果しか出していない。まだまだ世界のサッカー界の中でその存在を認められるような実績は皆無なのである。
04/10/28 「忘れてはならない」
イラクで日本人旅行者が拉致され、自衛隊撤退を要求しなければ処刑するという事態になった。たしかに不用意にイラクに踏み込んだ行動は責められても仕方がない。しかし、ここで政府関係者が一個人の行動を責め立てるには矛盾がありすぎる。そもそも自衛隊派遣に関して「イラクは安全」というのが建前ではなかったのか?もはや国民の誰もがこんな建前を信じていないにせよ、当初の大見得を切った安全理論はどうしたのか?
小泉首相はいち早く声明を出してテロには屈せず自衛隊の撤退はないと公言した。そこには当初の平和な地域での住民に対する自衛隊の復興支援活動などと寝ぼけた能書きを言ったことへの反省はかけらもない。まともに旅行もできない地域でいったい何の住民貢献ができるのか。そしてそれを追求するどころか、追随の声明を発表した民主党。あれだけ自衛隊派遣に反対しながら、手のひらを返したように国際協調とか言い出す情けなさ。
現在アメリカが行おうとしているのは暫定政府への権限委譲、すなわちこのままではイラク人同士による内戦状態に突入しかねない愚かな政策である。一年半を経て明らかに失敗したアメリカの石油利権侵略戦争は泥沼の一途である。その片棒をなぜこれ以上日本が担がねばならないのか、説明義務を果たしてもらいたいものだ。
04/08/23 「イラクで起こっていること」
現在、いやアメリカ軍の占領後にイラクで起こっていることの真実は凄まじい略奪蛮行と人を人と思わない殺戮である。それを行っているのはいったい誰か?日本での報道を見る限り、テロ組織がすべて悪者にされている。しかし、その実態はまるで違う、イラクの人々を家畜以下に扱い、人間としてのプライドさえ引き裂く行為を積極的に行っているのは間違いなく占領者であるアメリカ軍である。
もはや日本のマスコミメディアはアメリカ軍に頼り切った大本営発表を鵜呑みにするしかなく、まったく真実を伝えるすべを失っている。しかしアメリカにはまだジャーナリストとしての良心を残す人々がいるようで、彼らの報道を見る限り正反対の状況が伝わってくる。アメリカ軍の兵士の練度は恐ろしいほどに低く、彼らは異教徒に対する畏敬の念はまったくないようである。戦闘から占領に入った今、大切なのは戦闘能力ではなく、人心を把握した統治能力である。その意味では彼らアメリカ軍は残念ながら第二次大戦終了後に日本を占領した時から、まるで進歩していない、むしろ退化したようである。おそらくブッシュ政権は半世紀の時を経て日本でGHQが行った事をイラクで再度なし得よう、同じアジアなので問題はないとしたのだろう。ここにアメリカ特有の傲慢な思いこみがあり、さらに兵士の人間的な訓練精度を見落とした二重の失敗が今出ているのである。
小泉鈍一郎首相はそういう実情を知っているのか、知らないのか。知らないとしたら首相としてなめられた話であるし、知っているのなら我々国民側がなめられた話である。法的に曖昧なまま、ほぼ見殺し状態(たまたま何も起こっていないだけ)で派遣された自衛隊もそうである。シビリアンコントロールが効いている以上、制服側は意見を述べられない。しかし軍人としては現在の強引な法解釈のうえでの派遣は納得できないものがあるだろう。そういった議論を積み重ねないまま、アメリカの顔色を伺い、例え沖縄の市街地にアメリカ軍ヘリが墜落しようとも呑気に映画を見る、それが今の日本の首相の本質である。首脳会談の都度、日米はパートナーとしてより一層の関係強化を図るという宣言が出される。真の友人とは親身にたって忠告ができるはずなのに、今の日本いや小泉政権はブッシュ政権に対して友人とはほど遠い奴隷である。
04/08/16 「大義は消えた」
先日、イラク駐留のもとになるイラク戦争の「大義」がなかった事を最大の当事者である米英の議会調査委員会の報告書は、イラク戦争開始の理由に「根拠がない」と断定。米中央情報局(CIA)と英情報機関がイラクの脅威を誇張したとして、事前情報の誤りを公式に認めた。要するに、旧フセイン政権に大量破壊兵器の隠匿や使用計画などはなかった、と結論づけているのである。あろうことか、フセイン政権とアルカイダとの関係も明確に否定した。
オイルマネーに詳しい人々は従来からこの戦争(いや戦争と呼べる代物ではない、一方的な国際公開リンチに等しい)を石油利権に関わる大国の争いと断じてきた。ところが小泉純一郎首相は、十分な説明もないままイラク戦争を支持し、自衛隊の多国籍軍参加を決めた。「大義なき戦争」と確認されたことに対し、臨時国会できちんと説明する責任がある。そして憲法を遵守しないまま、さらなる一歩を踏み込んだ事を明確に野党も追及すべきである。
作者は決して自衛隊不要論を唱えるわけではない。永世中立を宣言するスイスでさえ軍隊を持っているし、実際問題として戦略的観点からは日本のおかれた地理的条件で自衛手段を持たぬということは自殺行為だと考える。理想論は非武装であっても現実問題を考えれば年金問題と一緒で先送りすれば解決するものではない、既に先の大戦から59年が経つ。当時侵略を受けた周辺諸国にしても「自衛隊は軍隊ではない」という詭弁には聞き飽きた部分があるだろう。当の自衛隊関係者にしても中途半端なままで、海外派兵を強行されて何かあっても犬死にに等しい状態である。相も変わらず、既成事実追認で凌ぐのか、これまでの政策結果を見る限り小泉首相は何も成し遂げていない。
04/08/08 「再見(ツァイジェン)」
懸念通り、北京でのアジアカップ決勝戦も後味のいい試合とは言い難いものだった。たしかにサッカーというものはルールもそれほど複雑ではないため感情的になりやすいスポーツである。しかし、北京でのオリンピックを控えた今、このような醜態をさらせばどうなるか、今一度考えて行動すべきであった。たかがアジアカップとはいえ、衛星中継でヨーロッパにも中継された。大きな大会もなく、各国の国内リーグも始まっていないうえに日韓W杯での日本・韓国の活躍もあり、ヨーロッパでも注目されていたわけである。
たしかに中田浩二の2点目は微妙な判定ではあった。しかし、審判の判定は絶対であり、それはお互い様であろう。ロスタイムの玉田の得点後は物を投げ込むだけ投げ込んで席を立つ観客が目に付き、表彰式に至ってはガラガラであった。これは断じてホスト国としてあるまじき態度ではない。中国サポーターにとっては負けてはならぬ大事な試合だったかもしれないが、負けてなお学ぶものがある、それがスポーツの一面でもあるはずだ。そのような寛容さを持つこともホスト国としての大事な部分であるはずだ。敗戦を糧にして勝利者を称えて、選手もサポーターもいや国家としても成長する。非常に残念だったのはそれを一番理解しているはずのオランダ人監督が表彰式ボイコットという恥ずべき行動に出た事だ。ヨハン・クライフを筆頭とする戦術で一生を風靡したオランダの輝きはクライフ以降その陰りを年々大きくするばかりである。その一面はこういう部分にもあるのではないだろうか。
中国でいう「さよなら」は「再見」、また会おうという意味のこの言葉は素晴らしい。この大会を通じて、いや先のオリンピックを通じても選手・サポーターがそう中国側と言い交わせる、そういう寛容さをあと4年で持ち合わせることができるのか?はっきり言えば今回のアジアカップはホスト国として何もかもが失敗であった、それを糧にしてほしい。中国はそこまで無力ではないはずだ、まだそう思いたい。
04/08/06 「アジアカップ」
作者は以前、ソウルでの日韓戦を見たことがある。こと日本を敵視する韓国での試合は壮絶な雰囲気であったが、今回のアジアカップは問題外である。ソウルでは微妙なプレーに対してのブーイングはあっても、いいプレーに対しては拍手もあったし、興奮しても試合が終わればそれで終わりだった。君が代に対しても(作者は君が代自体を国歌とは思わない、念のため)不満そうな顔はしても黙って聞いている、それは相手の顔を立てるということ。試合後ソウルの屋台でお互いに片言でやりとりをしながら酒を飲んだが韓国のサッカーファンとしてはどこか「韓国と日本が切磋琢磨してお互いに強くなればいい、でも日本にはやはり負けてはならぬ」という複雑な意識があったように感じた。
重慶での試合、あれはスポーツを見るマナーとはかけ離れた政治的意図、浅はかな群集心理しか感じられない。もちろんその根底にある旧日本軍の数々の行為から始まる歴史的な感情はあろうが、少なくともそれを持ち出す場面ではない。4年後に迫ったオリンピックをこの国がまともにできるとは到底思えなくなった。スポーツとはかつてのピンポン外交が示すように敵意を煽るものではない、見ていて気持ちの悪くなるような観戦態度、あれでは失望しかできないではないか。スポーツの中でサッカーほどファンを熱狂させるものは少ない、しかし既にその限度を超えている今、中国のホスト国としての力量が問われている。そしてその先に北京でのオリンピックがある、そういう意味で今日の決勝戦にどういう姿勢で臨むのか、試合開始は間もなくだ。
04/07/09 「メディアは死につつある」
先の韓国人に続き、今度はフィリピン人そしてブルガリア人とイラクでの武装勢力による人質事件は悪化の一途である。しかもこの手のニュースを伝えるのに日本のマスコミおよびジャーナリストはほぼ無力化している。橋田さん射殺事件以来、ヒステリックになった某大手新聞社は「暴走」を合い言葉にフリージャーナリストを非難した。では、自衛隊に守られ、安全な環境だけで真実は取材できるのか?何も危険を顧みずに突撃取材しろと言うのではない、彼らは結果としてジャーナリズムを責め立てた事になり、自分たちの首を絞めてしまったのに気がつかなかったのだろうか?
北朝鮮の人質問題でも同様だ、拉致被害者家族会のごく一部のコメントだけを抜き取って執拗に流す。そして世論はそれに対して過剰なほどの拒否反応を示す。個人の利益というものは必ずしも組織(政権)の利益と一致する物ではない、それを一方的に排除するのはいつか来た道だとは思わないのだろうか。その中でも国益と政権の利益は必ずしも一致しない。国益は我々国民全体の進むべき道としての利益であり、政権の利益はあくまで時の権力者の利益である。そしてその先鞭を自らがつけることでメディアは死につつある。
04/06/20 「退場」
ほぼ連日のようにマスコミをにぎわす三菱自動車(ふそう含む)。作者はもともとこのメーカーの車作りというものをまったく信用していなかったので、同情にも値しない。いくら企業というものが利益を生み出すためにあるとはいえ、今までのやり方がひどすぎる。ちょいと売れれば全車種のターボ化、パジェロ化、GDI化等々きりがない。中でも最低だったのはGDIで、ろくにと調べもせずに「世界初」と謳ったところ、既にメルセデスが実用化した経緯が明らかになり他社から失笑を買った。しかもこのGDI、構造的に耐久性に大いなる疑問点があったうえに、緻密なアクセルワークがないと肝心の燃費効果はほとんど得られないという酷い代物であった。その証拠にあれだけ自慢していたこのシステムを搭載しない車種が増えているのである。
我々が日常的に使う工業製品の中で自動車というものは常に自分および他人の命と密接に関わる特殊な製品である。そのような事も考えずに危険な製品を自己保身のために放置した会社に未来はなくていいだろう。いったい何人が失業するのか知らないが、そういう危機意識の欠如した製品を送り出してきた企業に救いの手をさしのべる必要はない。大多数の人間は三菱自動車なんかなくても困らないのだ。販売店も同罪だ、隠しリコールの闇改修を手伝って来たのなら両者ともにリングアウトで市場から退場、妥当な結論ではあるまいか。
04/06/07 「レーガミノックスと三位一体改革」
5日死去したロナルド・レーガン元米大統領を作者は至近距離で見たことがある。1983年に来日し、当時の中曽根首相の山荘で会談した際にたまたま日の出町に行く用事があり歓迎の人並みに紛れ込んで見物した。レーガン元大統領は大規模減税と規制緩和による民間活力増大を柱とした経済政策「レーガノミックス」を推進した。権限委譲による「小さな政府」を実現し、民間主導の経済で競争を促すことつまり民活を推進した。当初は国内のインフレ抑制のためドル高政策を採用していたが、減税による歳入減と軍拡路線での財政・経常収支双子の赤字拡大に耐えきれず、85年のプラザ合意でドル高を放棄した。結果的に日本は急激な円高に襲われ、内需拡大に走るバブル経済を呼ぶ引き金となり経済運営で大きな影響を受けた。
レーガノミックスが打ち出した「小さな政府」や「民需主導の成長」は現在でも、日本を含めた各国の経済政策の主要な潮流になっている。それを更に一方的な解釈の元に増長したのが現在の三位一体改革である。一国の首長がまともに社会生活を送った経験がない、痛みを知らない人間が「痛みを分かち合おう」と言って何をわかってくれるのか。その結果が明らかになりつつある、それが今の日本政府の能力である。中身の伴わない言葉だけの改革、そしてイラク人質事件と年金問題でわかったように自己責任という意味を理解できない与党議員(いや野党議員も大して変わりはない)。いったい、我々は明日の日本を誰に託せばいいのだろう、地方分権は言葉ばかりで地方の破綻は目の前に迫っている。
04/06/05 「中山間は滅びるのみ」
三位一体改革を掲げる財務省が「直接支払い制度」の廃止や大幅縮小を検討する方針を打ち出した。この制度は2000年度に始まった。棚田や急傾斜地など、農業生産を続けるには不利な地域の農家所得を直接支援する仕組みで、山岳地帯を抱える欧州連合(EU)ではすでに普及しているが国内では初の試みだった。一定の面積を五年以上耕作するよう求め、集落などの単位で協定を結ぶ。農地の形態に応じて支給額が決まり、最高は十アール当たり年間二万一千円である。
平地の乏しい中山間地域は、人口減少と耕作放棄に歯止めがかからない。その上農産物の生産性の観点からもその効率は極めて悪い。しかし、景観保全や災害防止などを併せ、国土政策全体の中で役割を考えることが大事である。平坦部でも農地が放棄され、荒れていく時代に中山間部の農地は無駄だと思う人は多いだろう。しかし山というものは適度に人の手が入っていればこそ水の便が保たれたり、田畑の土壌が安定する。猪・猿・シカやクマもむやみに人里まで下りてこない。「脱ダム」で注目される上流域の保水力にもかかわってくる。
あらゆる予算を聖域としない、財政改革と小泉首相は言うけれど発足わずか4年目での変更は唐突すぎる。数字のみを追い求めるのが改革ならば、都市部だけを優遇するのか。都市部だけで日本の社会全体が成り立つのか、数値化しづらい側面を踏まえ、慎重に吟味する必要がある。
この制度で、過疎地の農家がある程度意欲を取り戻した半面、高齢のため先が見通せない不安も小さくない。お金をばらまくだけでなくその土地ならではの特産品づくりに知恵を絞るなど、U・Iターンの農林業後継者を定着させる施策と組み合わせることで多少とも展望が開けるのではないか。中山間地域が活力を維持できれば日本の農業自由化交渉にも心強い。このままでは中山間部に死ねと迫るも同然である。。
04/03/06 「善人とは何か」
埼玉県草加市で無許可で古紙を回収した千葉県八街市の男性(60)がその中から現金2800万円を発見し、警察に届けた事件があった。この事件の顛末は「草加市は、現金を拾得し警察に届け出た千葉県八街市の古紙回収業の男性(60)を窃盗容疑で告訴する検討を始めた。同市は資源ごみの持ち去りを防止する観点から、現金は市に所有権があると主張する。男性は草加署の調べに対し、「古紙はすべて市指定のごみ集積所から回収した」と供述したという。その後男性(60)は「持ち主が現れなくても金は要らない」と26日までに草加署に伝えた。 調べでは、男性は草加市のごみ収集委託業者ではないのに23日早朝、同市内の集積場30数カ所をワゴン車で回り、古新聞などを回収。仕分け中にポリ袋入りの1万円札2800枚を見つけ同署に届けた。男性は25日夜、同署を訪れ「金が欲しくて届けたわけではない。騒がれて疲れた」と話した」(共同通信・時事通信より引用)。
もともと資源ゴミを回収しリサイクルして生計を立てていた業者をこのような状況に追い込んだのは誰か。基本的に、資源ゴミの持ち去りを罪とみなす法律に問題があるのではないか。もちろん、資源ゴミを漁って周囲を散らかし近所の住民に迷惑をかけるとか、持ち去った資源ゴミをリサイクルラインの乗せずに処分してしまうとなれば論外だが、いったいこの国の考えはどうなっているのか。
限られた資源を大事にするべきだという主旨で生まれたリサイクル案はそれ自体が素晴らしいのは事実だ。だが、どこでねじ曲げられたのか、結局この法案に基づくシステムがすべて官僚中心の机上論で終わったからである。地球上の資源を大事にしようとのであり、この法案概念が定着することによって資源ゴミの回収で生計を立てていた方たちが、今まで何もしなかった国や市に「それは俺たちのモンだからお前は手を出すな」と追い払われるのは狂っているとしか思えない話だ。結果として資源がリサイクルされれば目的は果たしているのであり、その中間に雇用が生まれれば、それはそれで尚良いことではないのか。国が乗り出してきたために職を失った資源ゴミの回収業者がささやかに間に入ろうと、資源が資源として再び生まれ変わるなら良いではないのか。
いや私が一番言いたいのはそれよりも今回の主役は、「落し物の2800万円を警察に届け出た」善良な人物なのだ。大金持ちとは考え難く、そういった方が、見付けた大金を正直に警察に届け出る――どう考えてもまともな人間の住む国では「美談」として扱われるべき話題ではないのか。それが日本ではこんなに醜い顛末を迎えてしまう、何なのだこの国は。ケチ臭く資源ゴミを盗まれたと騒ぎ立てる元気はあっても、大企業には平気で何兆円もの大金を救済資金として注ぎ込む。
本来国や都道府県や市町村(あー、あと区もそうか)は、住民の平安な社会を保つため、善良な市民を守るために住民国民のために存在している筈だったのではないか。なのに、現在では彼らは自らが作ったワケの分からない基準に反した弱者を槍玉に挙げ、本当の意味で取り締まらなければならない強者には追従するという、最低の現実が繰り広げられている。
04/02/15 「変身」
高吾北5ヶ町村による合併案が消滅した佐川町はいつにない変わり身の早さを見せ、日高村へ合併協議を申し入れた。実情を言うと佐川町の台所事情は火の車になるのが時間の問題で、とにもかくにも合併特例債で一息入れるしかないようだ。しかしこの合併特例債とてバラ色ではなく、結局は後年度負担として還る仕組みになっている。
無投票で選ばれた町長なので信任はあるのだろうが、完全な行政主導で住民不在のまま先に合併協議を進めて同じ失敗を繰り返さない保証はあるのだろうか?いや、それ以前に住民は合併を望んでいるのだろうか、住民に対して説明はなされたのだろうか?
佐川町に限らず、今回の合併では最初に合併ありきという姿勢が多く、結果としてそこに民意は存在するのかという事例が多すぎるのではないだろうか。地域の存亡を賭けた合併にその地域の住民の意思が尊重されていないのなら、いったい何のための合併なのか。もちろん、市町村側にも言いたいことはあるだろう、国の姿勢が合併最優先である以上財政的に厳しい地方自治体に選択の余地はないに等しい。突き詰めれば、国いや小泉内閣が推し進める三位一体改革が実のところ大都市のみ優先の地方切り捨て政策にすぎないだけなのだが。
03/11/06 「延命」
衆議院選挙投票日がいよいよ目前に迫った。マニフェスト選挙と言われるが、これをきっちりと数字で示しているのは民主党と共産党でしかない(断っておくが作者は特定支持政党はなし)。自民党に関しては「政権公約2003」というのがあるが、これがもう玉虫色としか思えない出来。「xxを目標に論議する」だの「xx%前後を目標」だの、どう好意的に解釈しても玉虫色以外の何者でもない。前回の参議院選挙で小泉首相は「自民党を破壊する」と言っていた。しかし実情はその言葉の裏で自民党を延命させるのに成功しつつあるとしか思えない。
日本はブロードバンドが格安で急激に普及し、インフラは整ったなどと言っているがこれとて政府はまったく何もしていないに等しい。この点に関してはヤフーBBのおかげであることは間違いはない(ヤフーBBにはいくつかの問題があるにしても)。しかしながらそれをさも自分たちの手柄として公言する某閣僚。
もちろん小泉首相はこれまでの自民党首相としては異色で、国民に直接呼びかけるという姿勢は認める。しかし、よく考えれば今までの首相はそういう当たり前のことをしてこなかっただけなのだ。それはそうだろう、国民には関係のない密室政治が行われ、特定の業界や組織を中心にPRしていれば自民党は安泰だったのだから。この流れを改革と捉えるのか、それ以前の出来事と捉えるのか、その判定を下すのはやはり我々有権者だろう。