清水第二小学校(いの町=旧吾北村) きよみずだいに へき地級2(1978)
清水村立清水第二小学校として設立、合併で吾北村立となり1995(平成7)年から休校
1955(S30) | 1963(S38) | 1968(S43) | 1973(S48) | 1978(S53) | |
児童数 | 47 | 33 | 23 | 17 | 7 |
清水と名の付く学校は高知県内に6校(清水ヶ丘中=安芸市 清水第一小・清水第二勝=旧吾北村 清水小・清水中・清水高=土佐清水市)あるが、それぞれ自治体によって呼び名が違う。ここは「きよみず」吾北村の前は清水村であった。清水第二小学校は1877(明治10)年に川窪小学校として設立され、当時は民家の納屋を利用した児童数30名前後の学校であった記録が残っている。その後清水第二小学校となり、1995(H7)年に118年の歴史を閉じたが2010(H22)年1月の時点で廃校とはならず休校となったままである。これは前述時点での高知県内62校(小中学校のみ)の中で5番目に長い休校期間となっている。
訪問は2010(H22)年1月、学校のある川窪へは通常なら国道194号線日比原から川窪川沿いに遡るのだが今回は所用の関係で土佐町瀬戸から芥川林道を通って行った。土佐町側は完全ダートのかなりの悪路であるが、峠を越えて吾北側に入るとすぐに舗装となり下りながらいくつかの民家を見て大きなカーブの正面に川窪集落が見えてくる。清水第二小学校は集落の北端、一番下に木造の小さな校舎と運動場があり道をはさんでこれまた小さなプールがある。1996(H8)年に東陽一監督によって制作された映画「絵の中のぼくの村」ではこの校舎が撮影に使われている。
左端が清水第二小学校
校舎の右側 青い柵がプール
学校所在地の標高は500m、校区は川窪・奥ノ谷・池ノ谷・大日浦の4集落。大日浦は学校から谷をはさんだ北向かい側の標高550m付近にあった集落で、いったん標高350mの川窪川まで下って再び登り返すという通学路だったらしい。現在でも車道は通じておらず無人となって久しい。自家用の米を棚田で栽培し、楮・三椏・こんにゃく・木炭・林業が主な収入源だったそうである。今はいずれも細々とお年寄りが栽培するのみとなった。1955(S30)年に47名、1963(S38)年に33名、1968(S43)年に23名の児童在籍記録が残っている。学校自体は校舎の規模からわかるように全学年複式学級の小規模校だったらしい。訪問時点で4名の児童がおり、朝晩スクールバスで清水第一小学校へ通学している。