川口小中学校(大豊町)  かわぐち   へき地級1(1978)
  中学校は1962(昭和37)年に大杉中学校に統合、小学校は2002(平成14)年に休校

年 度 S30 S35 S40 S45 S50 S55 S60 H2 H7 H11 H14
児童(小学校)数 89 52 68 33 18 13 15 8 18 5 休校
生徒(中学校)数

 川口小中学校は四国自動車道大豊ICを左折し、100mほど進んで右折してトンネルをくぐった先にある。川口中学校はやや複雑な経緯を辿っているのでその詳細を説明する。
 1947(昭和22)年の学制改革で旧川口国民学校の卒業生および川口国民学校高等科に在学していた生徒は、距離的に近いこともあって大杉中学校に通学することになった。ところが校区民や父兄の間には小中学校併設設置の希望が非常に強く、大杉村だけでなく高知県に対しても陳情を行うなどの活発な運動が展開された。このため、いったん1950(昭和25)年に大杉中学校の分校として認可されたが、教員数の関係などもあって一部生徒は大杉中学校に通学するなど混乱が生じていた。そのため1952(昭和27)年、独立校として川口中学校が正式に設置され、小学校校長が中学校校長を兼務することとなった。
 しかしながら産業構造の転換に伴う過疎化は急激に進み、昭和の大合併による各種事務の効率化という面もあり、1962(昭和37)年に大杉中学校へ統合された。
川口小中学校跡 右が体育館

 訪問は2004(平成16)年4月。距離的な問題があるため、過去に川口小学校自体も何度か杉小学校(現大杉小学校)への校区変更が行われている。最終的には2002(平成14)年に休校となっている。四国自動車道を高松方面に向けて走ると、大豊ICの先でとんがり帽子の建物が見えるが、それが1995(平成7)年に建てられた川口小学校の体育館である。
 ここもこの体育館の新築費用が残り、国庫補助が7,220万5千円、残りは簡保と高知銀行からの借り入れ起債だが簡保のほうが平成33年度まで、高知銀行が平成18年度までの償還が続く。2005年12月にいくつかの起債償還を民間銀行からの低利借り換えで返済することが決まったが、同時に川口小学校の廃校も正式に決定され2006年3月をもって廃校手続きがとられた。その後は「緑の時計台」という名前でペンションとして活用されている。