勝間小中学校(四万十市=旧中村市)  かつま    へき地級1(1978)
  小学校  旧大川筋村立勝間小学校とて設立。合併で中村市立に改称後、2002(H14)年に休校。休校後に四万十市立と改称。
  中学校  旧大川筋村立明星中学校勝間分校として設立、後に勝間中学校として独立後に合併で中村市立に改称。1966(S41)年に大川筋中学校に新設統合。 

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53) 1998(H10) 2000(H12)
在籍児童数  135 115  50  20
在籍生徒数  39  61        



 勝間小中学校は国道441号線から四万十川を挟んだ対岸にある。シーズン中は観光客で賑わう勝間沈下橋を渡って右折する。

 勝間沈下橋

 訪問は2012(H24)年8月下旬、平日とはいえ夏休み中なので観光客が多い。勝間小学校の歴史は中村市史によると1881(明治14)年に設立された鵜ノ江小学校から始まっている。鵜ノ江は対岸になるがその後勝間地区に移転した。その後教育制度変更により、勝間尋常小学校→勝間小学校と名称が変わった。また自治体も鵜ノ江村→大川筋村→中村市→四万十市と変わっている(四万十市移行時は既に休校となっており四万十市立勝間小学校の卒業生は存在しない)。勝間中学校は1948(S23)年の明星中学校設立と同時に勝間分校が設立され、1952(S27)年に勝間中学校として独立した。その後生徒数減少と校舎改築もあって1966(S41)年に明星中学校とともに新設の大川筋中学校に統合され、短い歴史を閉じている。
 手元の昭和53年度版高知県教職員名簿では在校児童数20、へき地等級1となっている。休校寸前の平成11年度版高知県教職員名簿ではへき地等級2に変更されている。



 市道を挟んで校舎と運動場が向き合っている。正門横に「勝間小中学校 惜別乃碑 卒業生一同」という記念碑が建立されている。休校から10年経つがいまだに廃校手続きはとられておらず、旧中村市でも一番古い休校となっている。正門横にはそれぞれ「勝間尋常小学校」「勝間実業公民学校」の表示も残されている(正面から見ると中村市立勝間小学校なのでおそらく意図的に残してあるのだろう)。訪問時点で校区内に1名の児童がいて、川登小学校へ通学している。

  

 勝間地区の歴史は地区内に縄文時代の遺跡が複数あることからもかなり古くから存在していたもよう。織豊期にも勝間村の名前が確認されており、当時から300人を越える住民がいた。1889(明治22)年に大川筋村の大字となり、1954(S29)年からは中村市の大字、2005(H17)年からは四万十市の大字となっている。