上韮生中学校(物部村)  かみにろう
  旧上韮生村立として設立、合併で物部村立に改称後、1972(S47)年に廃校
 

  1958(S33) 1962(S37) 1963(S38) 1968(S43)
生徒数 136  154  154  72 


 物部村の中心地である大栃から北側の谷筋が旧上韮生村になる。大栃から10キロほど遡ると旧上韮生村の中心であった五王堂地区に着く。左手に建設会社寄宿舎に使われていた学校跡があり、五王堂小学校跡である。同じ敷地内にあった上韮生中学校は既に取り壊されており、その痕跡は見あたらない。下記写真の中央下にある舗装部分付近に校舎があったもよう。



 訪問は2005(平成17)年3月、季節はずれの寒波が到来し小雪が舞う中での訪問であった。終戦直後に建てられた上韮生中学校は老巧化が激しく、冬場になると教室内ですら寒風が吹きすさぶ状態であったらしい。例年11月になると窓という窓をビニールで覆って越冬準備としていたという。生徒数の減少も重なり、改築よりも統合となってその歴史を終えている。ピーク時の1962(昭和37)年には154名を数え、その前年までは神池に分校もあった。神池は大栃中学校に通うケースも多かったらしく、分校閉校時には大栃中学校に統合された。2007(平成19)年1月に確認したところ、校区内の生徒数は2名である。

上韮生中学校(撮影時期不明)

 平地がほとんどなく林業と炭焼きで生計を立てていたこの地域の暮らしは高度経済成長期以降は急激に過疎化が進行した。土佐山田町や香北町美良布付近にはこの地域出身者が多い。