神池小学校・上韮生中学校神池分校(物部村) かみいけ
旧上韮生村立から合併で物部村立に改称後、1971(S46)年に大栃小学校に統合
中学校は1961(S36)年に大栃中学校に統合
1958(S33) | 1960(S35) | 1963(S38) | 1968(S43) | |
児童数 | 111 | 97 | 79 | 54 |
生徒数 | 34 | 38 |
神池のある地域は昭和の大合併以前の呼び名は旧上韮生村になる。大栃から上韮生川に沿って県道を遡り安丸郵便局の先で左折、上韮生川を渡ってそのまま車道を進む。安丸小学校跡への分岐を見ながらさらに直進して山道を進むとやがて鞍部に出るがその右手に神池小中学校跡がある。
神池小中学校跡
訪問は2008(平成20)年1月、前日の雪が日陰に残る寒い日の訪問となった。神池小学校の歴史は1879(明治12)年の神池簡易小学校開設からで現行制度でのピーク時の児童数は1958(昭和33)年の131名となっている。中学校は1948(昭和23)年に上韮生中学校分校として小学校に併設され、ピーク時の1960(昭和35)年には38名の生徒が在籍していた。施設老朽化と村内中学校の統合機運が高まった翌1961(昭和36)年に本校ではなく大栃中学校に統合された。これは本校である上韮生中学校も大栃中学校への統合が決定していたためである。訪問時点での児童数0名、1名の生徒が大栃中学校に通学している。
1960年頃の神池小中学校
学校周辺はこの地域としては珍しく水田が多い、鞍部が台地状になっている地形の利点を生かしたものだろう。教育熱は高く、取材中の話では代々物部村村長は神池から出ることが多かったとか。校舎は既に取り壊されており、敷地も払い下げ済みだそうで植林されていた。裏に教室跡が一つだけ残っているということで、小学校のものか中学校のものかは不明であるが撮影した。この地域も大栃・美良布・土佐山田に移り住んだ人が多いそうである(もちろん県外転出も相応であるらしいが)。神池地区には県立大栃高校の実習農場があって、お茶や農作物の栽培が行われている。大栃高校の閉校に伴ってその先行きが懸念されていたが、南国市にある県立高知農業高校へと引き継がれて利用されることとなった。
校舎跡