瓶岩小学校(南国市)  かめいわ
  旧瓶岩村立瓶岩小学校から合併で後免町立→南国市立に改称後、1963(S38)年に廃校
 

  1958(S33) 1963(S38)
児童数 146  113 


 瓶岩小学校は過疎化ではなく公害による環境悪化という極めて珍しい事例による廃校である。学校の歴史は1897(明治30)年に遡り、廃校時に66年の時を刻んでいたことになる。国分川を挟んだ対岸にできた石灰鉱山の公害によりやむなく久礼田小学校に統合されている。
校門跡

 訪問は2006(平成18)年9月、国道32号線を高知自動車道南国ICからさらに北進し、奈路方面へと左折する。その先で一度右折して国道から3kmほど走った右手の坂上に校門跡が見えてくる。頭上の山腹を国道33号線が走り、その走行音も聞こえてくる。25年ほど前の作者が高校生の時代にはまだ校舎が残っており、根曳峠への峠道を自転車で登りながら「あんなところに学校があるな」と見ていた記憶がある。
 前述の通り公害が原因であり過疎化ではない廃校で、住民としても苦渋の決断だったそうである。統合先の久礼田小学校開校百周年記念誌にはその詳細が綴られており、地元と南国市教育委員会との協議状況がよくわかる。国分川対岸にできた関西鉱業の石灰採掘による公害は川の汚染だけでなく発破による騒音も酷く、学習環境の重大な悪化があったそうだ。また発破時に校庭に岩石の破片が飛来する事もあったらしく、今日では考えられないずさんな鉱山運営が行われていたようだ。
 地区内の人口はおおむね800人前後で推移しており、少子化進行はあるものの過疎化はそれほどでもない。かつては参勤交代の北山越えの出発点でもあり、坂本龍馬の一族は瓶岩地区才谷の出身である。生家の屋号である才谷屋はその字名から引用されている。地区内の有志により北山越えの草刈りを行うなど地区内の歴史遺産の保存が行われており、このほかにもゴーヤ栽培など地域の活性化をさまざまな形で試みている。

記念碑