西川小学校/奥西川小学校(香北町=現香美市)  にしかわ/おくにしかわ
  西川村立奥西川小学校から美良布町立に移管。大宮町に合併、西川小学校に改称、香北町合併を経て廃校
 
在籍児童数

  1958(S33)  1963(S38)  1967(S42) 
西川小学校   78  48  39




 国道195線を東に走り香北町の中心地である美良布を過ぎてから「佐敷」の看板を目印に右折して県道30号香北赤岡線を南進、3kmほどで旧西川村奥西川地区になる。さらに1km少々(この方角から行くと非常にわかりにくい)で大きな右カーブの下にプール跡がある。次の左カーブの右手が西川小学校跡である。

 西川小学校跡全景

 西川小学校の歴史については1872(明治5)年に久保川尋常小学校というのが資料に残っておりこれは地名からして現在地ではなく、1891(明治24)年に奥西川尋常小学校に移転改称が現在地だと思われる。その後学制変更等による改称を経て1947(昭和22)年には西川村立奥西川小学校となった。この後はある意味激動で、1954(昭和29)年 西川村が分村編入となり美良布町立奥西川小学校→1956(昭和31)年 大宮町立西川小学校に改称→1961(昭和36)年 香北町立西川小学校に改称となる。1968(昭和43)年に香北町内の他の2校(府内・清爪)とともに廃校となり大宮小学校に統合された。学校の歴史としては98年ということになる。

 訪問は2015(平成27)年4月、校舎跡地は既に民家となっているのでまずは写真撮影とWeb掲載の許可をいただく。民家住民の方は「もう何も残ってない、校門も三つに割れて判読不明。校庭の桜はも病気になったのでかなり切った」と教えてくれた。

 校門跡付近

 校門跡

 プール跡

 校舎校庭跡遠景

 学校周辺やその手前の風景はそれほど厳しい山間部ではなく、何人かの住民に聞いたところ自家消費用の米・野菜は賄える状態だったがそれ以上の収穫にはならず、現金収入となると林業・炭焼きに頼るしかなかったそうである。物部川水系のダム・発電所の建設で仕事があったので1970年代初めまではそこそこ人もいたらしい。現在旧校区内には児童生徒ともにゼロである。