東川小中学校(香我美町)  ひがしかわ
  旧東川村立東川小中学校として設立、分村編入で香我美町立に改称。後に香我美中・香我美小に統合
 

  1958S33) 1963(S38) 1968(S43)
在籍児童数 105  65  50 
在籍生徒数 75  81   


 東川小中学校跡は旧香我美町が細長く延びたちょうど真ん中付近になる。昭和の大合併で3分割されて分村編入となり消滅した東川村役場もすぐそばにあり、東川村中心地だったそうだ。地図上では県道221号奥西川岸本線を使えば国道56号線から一本道、しかし何故かこの付近は県道が入り組んでおり県道230号稗地中村線・231号山川野市線から行く方が早い。他にも旧夜須町細川(元々は同じ東川村)・舞川から県道と林道経由の2ルート・美良布から県道30号香北赤岡線経由で奈良ルートなどがある。ただしどのルートも2車線の快適な道路は皆無で、乗用車でも離合に苦労する。また東川村時代の同郷であった羽尾・沢谷・仲木屋・国光・九重・道家とは現在でも直接の車道が存在しない。
 訪問は2016(平成28)年1月、岸本から約10kmほど走ると県道の対岸に学校跡が見えてくる。東川小学校の歴史は1875(明治8)の東川尋常小学校開設まで遡ることになる。東川中学校は戦後の教育改革により併設設置された。ともに東川村立から香我美町立に改称されて併設校のままであった。東川中学校は1967(昭和42)年に香我美中学校に、東川小学校も1975(昭和50)年に香我美小学校に統合された。なお東川村には7小学校と2中学校の合計9校があったが、現在はすべて廃校となっている。

 東川小中学校跡(千舞温泉跡)

 前述のように最後は東川小学校単独となっていて1975(S50)年3月をもって統合廃校となった。その一年少々後の1976(S51)年5月に温泉施設として改修され千舞温泉「千舞荘」としてオープンした。いわゆる冷泉に属する温泉だったが、当時の掘削技術の関係から高知県内でも数少ない温泉としては有名で実際に作者も祖父母に連れられて訪れたことがある(ほとんど記憶がないのだが)。しかしアクセスの不便さからなかなか安定した経営とはならず、掘削技術の向上から温泉施設が増え始めると慢性的な赤字経営が続いた。結局2004(H16)年に休業となり、現在も再開の見込みはないらしい。
 向かって右側の駐車場が校庭、左側の宿泊管理棟が小学校校舎のようである。さらに左奥の温泉施設は増築された感じだが全体的には学校敷地をそのまま生かして造られている。玄関脇には学校跡記念碑があり、以前はそのすぐ左側に木製の大きな千舞温泉の看板があったそうである。

 学校記念碑

 以前この奥にある奈良小学校後を訪ねた際にも感じたのだが、道路周辺には田畑が少ない物のゆず畑が多く手入れもされている。ただし住民がいるわけではなく、多くは通いで手入れに通っているそうである。元々の校区は山川から別役だったが奈良小学校が休校になり校区が拡がった。その奥の舞川は撫川小校区を統合しては東川小学校よりは長らえたが現在は児童生徒ともに皆無、撫川に至ってはほとんど住民もいないに等しい状態である。東川も訪問時点での児童生徒は各1名ずつとなっている。