池ノ内小学校(伊野町)  いけのうち
  旧八田村立池ノ内小学校として設立、合併で伊野町立に改称後、1958(S33)年に新設の伊野南小学校に統合)
 

 伊野町南部の天王ニュータウンから北へ走る。以前は山越えの枝川まで地元民しか使わない狭い道が続いていたが、少しずつ拡張工事が進んで徐々にいの町中心部へ直結されるそうである(その後開通)。500mほど先で右折したすぐ前に消防団倉庫とグラウンドがあり、ここが池ノ内小学校跡地である。町営バスと北部交通の路線バス終点にもなっており、写真に写っているマイクロバスが町営バスである。



 訪問は2006(平成18)年3月、小学校の歴史自体は明治時代に遡るようであるが正式な記録が残っていない。旧八田村は合併により消滅しているうえに、合併直後に学校自体も新設統合でなくなっている。実際いの町教育委員会に問い合わせても詳細な場所がわからないという事であった。今でこそ天王ニュータウンが出来て県道も大幅に改良されているが、かつて高知市針木と八田の間は人家もほとんどない寂しい区間であった。池ノ内地区は北側の山縁にあり、旧八田村の中心地とは湿地で遮られる地形になっており、雨が続くと通学に苦労したという。このためか中学校になると旧宇治村の枝川に出ていた生徒もいたそうだ。2007(H19)年度の校区内児童数は23名、伊野南小学校へ通学している。
 学校統合は過疎化というよりは交通事情の改善と1956(S31)年公布の「新市町村建設促進法」による学校の再編指示のためである。車道が整備され、枝川よりも八田地区のほうが近くなった。至近距離にありながら天王ニュータウンの住民とはあまり交流がなく、一時は天王ニュータウン住民から天王地区のみの高知市編入の意見も出たほど地元意識は希薄である。