広井小学校(十和村=現四万十町)  ひろい   へき地級1(1978)
  旧十川村立第三小学校として設立、井崎小から十和村立・広井小.四万十町立と改称が続き、2007(H19)年に休校
 

年度 1947(S22) 1962(S37) 1965(S40) 1970(S45) 1975(S50) 1980(S55) 2000(H12) 2006(H18)
児童数 103 79 59 45 31 18 9


 広井小学校は四万十川を見下ろす標高約100mの高台にある学校である。学校下の道路はかつて国道381号線であったが、2車線改良での川平トンネルの開通により静かな田舎道となった。十川からはわずか3km足らず、国道381線からは1km少々である。記録では学校設立は1875(明治8)年、後述するが幾たびかの改称や移転をもち以後132年を経てその歴史を終えている。訪問時点では休校中のままである。



 訪問は2010(平成22)年6月、国道381号線川平トンネル東を南進する。川平トンネル西からも行けるが距離はやや長い。国道から見ると半島のように大きく突き出た先端に広瀬集落があり、その中心高台に広井小学校がある。学校設立時は十川村立大野小学校井崎分校として設置、その後2度の独立と分校化を繰り返している。3度目の独立は戦後の教育改革となる1947(S22)年、十川村立第三小学校と改称設置された。当時は現在地ではなく対岸の井崎にあり校区も井崎地区のみであったが、実際には沈下橋一本で渡れる事から広瀬地区の児童は本来の十川第一小学校(現十川小学校)へ通学せずに井崎小学校に通っていた。その後1957(S32)十和村発足に伴って十和村立井崎小学校と改称、2年後の1959(S34)年には老朽化が進んでいた事と実状とあわせるべく広瀬地区を校区に編入し、十和村立広井小学校と改称し現在地に新築移転した。2006(H18)年3月の十和村が合併のため四万十町となり、四万十町立広井小学校と改称。その一年後に休校となった。ピーク時には100人を越えていた児童数は休校時点で9名となっていた。中学校は原則としてほぼ全員が十川中学校へ通学していたらしい。



 地区内の主な収入源は林業、十和村内には営林署本署こそなかったもののかつては大正営林署(大正町)と江川崎営林署(西土佐村)にはさまれる形で双方の事業所が十和村内にいくつかあり1950年代までは賑わっていたらしい。その後は林業不振となり過疎化が進んだのは他地域と同様である。訪問時点での校区内児童数は4名、生徒数が2名となっている。いずれも十川小学校・十川中学校へ通学している。