春遠小学校(大月町) はるどお へき地級2(1978)
月灘村立春遠小学校から合併で大月町立に改称後1990(H3)年に月灘小学校に統合
1958(S33) | 1963(S38) | 1968(S43) | 1978(S53) | 1988(H1) | |
在籍児童数 | 81 | 79 | 47 | 22 | 9 |
春遠地区は大月町内でも一番東の山間部に位置する。以前は大月町馬ノ谷か土佐清水市貝ノ川から県道352号清王新田貝ノ川線を延々と走るかなかったが、近年になって姫ノ井付近から2車線の道路が開通して国道からわずか2km少々となった。
春遠小学校の歴史ははっきりしておらず、大月町史によると1891(M24)年には春遠簡易小学校の記録が残っているが開設時期は不明。1910(M43)年には姫ノ井小学校春遠分教場となったが、1939(S14)年に春遠尋常小学校として独立してその後はずっと独立校であった。この間、1920(T9)年には豪雨被害で校舎敷地ともに壊滅的な被害を受けたため翌年に県費助成と低利資金の借入で復旧にこぎつけている。
訪問は2017年1月、現在は老人ホームになっているので写真撮影とWeb掲載許可をいただく。校門にはいまだ大月町立春遠小学校と残っており、「昭和16年4月建立」とある。前述の尋常小学校独立直後に建立され銘板を掛け替えてきたのだろう。この地区は林業と炭焼きが盛んで1960年代までは清水営林署春遠事業所もあり、杣人や業者で賑わっていたそうである。老人ホームになっている現在の校舎跡は1987(S62)年に落成ということなので閉校のわずか4年前に落成していたことになる。閉校時には4人に減っていた児童だが最盛期の1957(S32)年には89人を数えていた。統合された月灘小学校も2009(H21)年には廃校となり、新設の大月小学校に統合された。
林業が盛んだったこともあり貝ノ川地区との結びつきが強かったらしく、地区へ嫁いで来るのは月灘村内と貝ノ川で半々ぐらいだったそうである。山仕事も貝ノ川だけでなく、峠道を越えて北東の宿毛市(当時は小筑紫町)葛篭へも出向いていたらしい。訪問時点地区内の児童生徒ともにゼロである。
校門跡
現在は老人ホーム
校庭の桜も残っている