中央小学校(いの町=旧吾北村)  ちゅうおう   へき地級1(1978)
  上八川村立中央小学校として設立、合併で吾北村立となり2001(H13)年から休校,、2008(H20)年廃校
    

1955(S30) 1963(S38) 1968(S43) 1973(S48) 1978(S53) 2000(H12)
児童数 89 77 57 31 16 11



 対岸から見た全景

 中央小学校(大月町にも同名校がある)は旧吾北村およびその合併前の上八川村中心地であった思地から約4kmほど上八川川沿いに遡った場所にある。かつては国道439号線脇に細長く沿っており、対向車が来た際には正門前か運動場出口までどちらかがバックしなければ離合ができなかった。現在は改良が進んだため、対岸を一気に駆け抜けることとなった。国道の改良とほぼ同時期に学校も休校となってその歴史を止めている。
 訪問は2010(H22)年2月、思地から快適な2車線の国道439号線を走る。改良前(といってもわずか十数年前)はとにかく狭く、大型車両の通行時には自転車ですら離合がままならなかったのが嘘のようである。高知市に住んでいた頃はよく自転車(ロードレーサー)で工石山経由のこのルートを走り、学校前の商店で食料を買ったものだ。しかしその商店もカーテンが閉まっており、どうやら営業をとりやめている様子である。

 正門前、奥に続くのがかつての国道

 学校の歴史は1874(明治7)年に遡り、当時は文林学校という名称で現在地よりもかなり下流にあったらしい。その後2度移転をして1891(明治24)年より現在地に落ち着いた。
手持ちの教職員名簿を見たところでは1978(S53)年度の児童数16名、閉校前年の2000(H12)年度は11名となっている。地元の方の話では1970(S45)年前後を境に児童数が急減し、その後は微減状態が続いていたそうである。現在の校区内児童数は4名、ほかに生徒が5名いる。校舎の一部分が改築されて集会所となっているが大部分はそのままの状態である。校舎前には二宮金次郎像が静かに佇んでいる。