富家小学校(野市町)  ふけ
  旧富家村立富家小学校として設立、合併で大忍村立、解体で再び富家村立、合併で野市町立のあとに19758(S33)年に廃校
 

 富家小学校は明治時代から富家尋常小学校としての歴史があった。第二次世界大戦中からの富家村の合併と分離解体、野市町への合併と所属する自治体名称がわずか10数年の間にめまぐるしく変わった。新制野市町発足から3年後に老朽化と児童数の増加が原因で新設された野市東小学校に統合されている。

1943(昭和18)年 富家尋常小学校

 訪問は2006(平成18)年2月、廃校時期が古いため当時の写真については諦めていたが、野市町合併50周年記念誌に戦時中の写真が掲載されていた。上記の写真がそれであり、野市町企画課から掲載許可をいただいた。学校跡地は現在研修施設や集会施設が建てられている。地元の老人に確認しながらほぼ同じ位置での写真撮影を試みる。県道が開通しており、完全に同じ位置とはいかなかった。
 「森田館」と名の付くその施設は富家小学校に講堂を寄付するなど、私財を提供した森田正馬医学博士の名をとったものだそうだ。荒俣宏「帝都物語」にも登場する森田博士は実在の人物で、1874(明治7)年富家村兎田に生まれ東京帝國大學(現在の東京大学)を卒業後に精神科医となり、独創的な精神療法を生み出した。慈恵医大の教授となってからは祈祷性精神病や犬神憑きを調査し、自己流で催眠術の研究をするなどその流れは「森田療法」として現在もいくつかの医療機関に受け継がれている。1938(昭和13)年にその生涯を閉じているが、生涯を通じて郷里富家村に多額の寄付を行い多くの公共事業資金を提供し、慈恵医大にも森田奨学基金を設立するなどの功績もあった。現在も生家が残っており、記念碑も建立されている。
 野市町の説明でも記載したように富家村の歴史は大忍村に合併→分離解体で富家村に→野市町に合併と短期間に複雑な経緯を辿っている。しかし富家小学校の廃校自体は多くの合併地域に見られた過疎化ではなく、大正時代に建てられた校舎の老朽化と児童数の増加が原因である。校舎の建て替えをしようにも敷地の狭さは解消できないことと、隣接する香宗小学校もまったく同じ問題を抱えていたことから野市東小学校を新設統合することになったそうである。このため学校統合には付きものの住民による反対運動はまったくなかったそうだ。

現在の富家小学校跡