榎佐古小学校(越知町) えのきさこ
旧明治村立榎佐古小学校として設立、その後黒石小学校に統合
榎佐古小学校は1948(昭和23)年に鎌井田小学校と統合され、黒石小学校となった。越知町横倉から国道33号線と別れ、仁淀川を渡り県道を伊野町出来地へと向かう。途中堂岡小中学校跡を左手に見ながら進み、2つ目のトンネルをく
ぐって橋を渡った先を左折する。その先の沈下橋のかかる風情のある集落が集落が鎌井田である。榎佐古小学校跡へは黒石小学校の看板を頼りにぐんぐん山道を上ってゆく。黒石小学校を通り過ぎてさらに高度を上げ、途中で右手に折れた杉の藪という集落(とはいえ人家は2軒のみ)の先に榎佐古小学校跡があった。
学校の歴史は1889(明治22)年の日ノ浦簡易小学校から始まっている。その後稲村分教場になったが1910(明治43)年に榎佐古尋常小学校という名前になった。現行教育制度となってからはわずか2年足らずでその歴史を閉じている。
榎佐古小学校跡(左がバイク道)
訪問は2005(平成17)の7月、既に廃校から半世紀以上が経つ上に、当時の管轄であった明治村は合併のために姿を消している。このため越知町教育委員会でも詳細な場所が不明だそうで、だいたいの目星をつけてあとは現地で聞き込むしかなかった。
10軒ほどの民家を訪ね歩き、畑仕事をしている方を呼び止めてやっと場所がわかった。杉の藪という集落の終点から山道を300mほど下ったところだという。車を止めて歩くと昼なお薄暗い杉木立の中に石垣が二段あり、そこが榎佐古小学校跡であった。後日入手した戦前の写真(一番下に掲載)と見比べてもわかるように石垣がはっきりと残っている。
運動場の石垣
杉の藪も以前は10軒ほどの集落、今は2軒3人が残るのみとなっている。学校への山道が踏み固められていてしっかりしているが、これは郵便配達のバイクが東隣の京仲へ抜けるのに利用しているからだそうだ。正確な資料が残っていないのだが、統合前には40人〜50人程度の児童がいたのではないかと言う。今は児童生徒ともにゼロである。明治村村有地であった学校敷地は、昭和の大合併前に払い下げられ何人かの人手を渡っている。校舎もいつ取り壊されたか定かではないが、近年になって榎佐古小学校の卒業生の所有地となった。ご本人に会う機会があったが、当面石垣を壊す予定はなく現状維持のままであるそうだ。
1935(昭和10)年ごろの榎佐古小学校