出来地小学校(伊野町)  できち   へき地級1(1978)
  旧三瀬村立出来地小学校として設立、合併で伊野町立に改称後、1999(H11)年に休校。その後2012(H24)年に廃校となった。
 

  1958(S33) 1963(S38) 1968(S43) 1978(S53) 1998(H10)
在籍児童数 42  33  24  15 



 伊野町中心部から国道194号線を仁淀川沿いにある神谷小中/三瀬中(休校中)/柳瀬小(休校中)を見ながらしばらく走る。越知町への県道分岐のすぐ手前の右手に出来地小学校がある。

出来地小学校(手前が国道)

 訪問は2004(平成16)年4月、校庭の桜は既に葉桜になっていた。遡ってきた仁淀川はここ出来地で大きく別れ、本流は西へ支流は上八川川となって吾北村へと北進する。このため出来地地区は吾北村・越知町・日高村との境に接している。特に越知町の宮ヶ奈路地区はすぐ対岸であるうえに、いったん出来地側に橋を渡るしか道路がなかった時期が長かった。このため数キロ離れた片岡小学校が本来の通学校であるが、全員がこの出来地小学校へ通学していた。越知町と伊野町の間で受託生として正式に認められていたそうである。
 校区は宮ヶ奈路を入れて4地区あるが、中学校になるとさらに複雑で宮ヶ奈路以外の生徒も受託生として下八川中学校(吾北村)に通うか、三瀬中学校(伊野町)に通っていたそうである。以前は勝賀瀬に中学校があったため、ほぼ全員が下八川中学校へ通学したそうだ。その後三瀬に移転したため、同じ出来地小学校卒業生でも自宅から近い中学校へ通って構わない方針は変わらなかった。このため出来地小学校卒業生は自宅の位置によって通学先の中学校が違うというのが当たり前だったそうだ。
 伊野町は成山小学校と中追中学校が廃校となっていたが、いずれも仁淀川の本流沿いにある学校ではなかった。この出来地小学校が仁淀川本流沿いでは最初の休校となり、その後三瀬中学校〜柳瀬小学校と休校が続くことになった。