はじめに
★作者プロフィール
高知県内在住の自営業40代です、県内全域での仕事機会が多くその合間に各地での取材を行っています。サイト運営や取材に関しては完全な個人の趣味であり、営利目的ではありません。サーバー容量の問題もあり独自ドメインにて運営していますが、私的なサイトです。
★廃墟探訪目的ではありません
このサイトは廃校・閉校になった学校や地元の流れを私なりに取材して作成してあります。トップページに書いたように取材にあたっては必ず地元の教育委員会もしくは役場で現在の所有者・管理者を確認し、撮影での敷地内進入が必要な場合は必ず地元管理者に断りを入れたうえで行っています。廃墟探訪を目的とされた方への情報提供ではありません。ただし掲載内容については一部の教育委員会を除き作者の自由意思で行っており、特に許可を得ているわけではありません。
★このサイトを作るにあたって
「廃校・休校〜高知県」は急激な過疎化と少子化の波に洗われ、消えていく学舎(まなびや)をWeb上に残そうと思い制作しました。作者は学校に出入りする機会の多い仕事をしていますが、毎年いくつかの学校が休校となりやがて数年の時を経て廃校となるのを目にしています。それらほとんどの学校が明治の尋常小学校時代からの長い歴史を持っているにもかかわらず、時代の流れには逆らえずひっそりと消えていきます。
財政処理の問題と地元感情に配慮してからかいったんは休校という形をとりますがやがて廃校となります。学校が地域の中心というのは今でも変わりないようで、学校がなくなった地域は急速に寂れていきます。スクールバスで通うにあたっては時間の制限が多いので部活動ができない、生徒減で休校になったので自宅に帰っても遊び相手がいないなどで、休校後に一家揃って引っ越すケースも非常に多いようです。ことにスクールバスすら廃止になりタクシーでの送迎(実際の経費はこっちが安くつく場合が多い)になると親の精神的な負担が大幅に増すようです。「税金を使ってタクシーで送迎してもらっている」という思いは当事者でないとわからない精神的負担でしょう。そしてこの場合でも、家族単位で引っ越すケースをいくつか耳にしました。
作者が車あるいは趣味の自転車で山間部を走っている時、思いもかけない山の中で廃校に出会うことがあります。多くは昭和の大合併といわれた1955年前後(昭和28年から30年)にかけての合併後、1970年代までに人口が激減したところなのですが、胸を締め付けられる思いがします。 あたりを見渡すと山林の間に廃屋が見えていたり、もはやその痕跡すらわからない場所もあります。でもそういった場所でもかつて人がいて子供がいたからこそ学校が存在していたのです。ここではそういった視点から私なりの感想を加えて作ってあります。この消えた子供達は高知県内だけでどれだけの数になるのでしょう?
それぞれの学校があったころのにぎやかだったことなどもできるかぎり地元の方に話を聞いてあります。地元の方や今はもう生徒もいない廃校の卒業生が何かのきっかけでこのWebサイトを訪れていただければ幸いです。なお、調査を進めるうちに予想を上回る休廃校数の多さが発覚したために更新作業がはかどっておりません、高知県内全域の現地訪問が終了するまでにはかなりの時間がかかりとは思いますが、気長に続けたいと思います。本来ならば調査というものは短期間で行うべきなのは承知していますが、1市町村の学校統廃合の流れを調べるだけで1日かかってしまいます。その後現地取材を行っていますが、1校あたり1日はかかります。まったくのボランティア作業ですので現在のペースが限界です。
★市町村合併と休廃校の関わり
上でも触れていますが、国が2005(平成17)年3月までの期限を一方的に切って市町村の合併を行おうとしています。たしかに行政の効率化や予算の削減を考えたら避けては通れない道でしょう。高知県は一極集中が顕著な地域で、県庁所在地である高知市を中心とした南国市・春野町(高知市へ合併確定)・伊野町(現いの町)・野市町(現香南市)・土佐市の3市3町で高知県総人口の5割を越える人口が集中しています。一方で大豊町・吾北村(現いの町)・本川村(現いの町)・物部村(現香美市)・池川町(現仁淀川町)・馬路村・北川村・大川村では過去40年間に60%以上の人口が減少しています。昭和の大合併というマジックの前に隠れた事実もあって、旧大桐村(現在の越知町桐見川地区)のように学校はおろか、住民ですら当時の2割にまで激減した地域もあります。このように廃校になった地域を調べているうちに気が付いた事があります。多くの地域は昭和の大合併と呼ばれる戦後の合併を経験しているわけですが、今急速に寂れている地域は当時の旧自治体だったところが多いのです。
複数の自治体が合併後、だいたいは川の下流側あるいは県庁所在地に近いほうが生き残るケースがほとんどです。前述の旧大桐村(現在の越知町桐見川地区)は越知町中心部からは源流域に相当します。このようにその地域の死活問題になる合併という行政作業をわずか2年ほどでアメ(合併援助予算発行)と鞭(地方交付税削減)を使い分け、一方的に強制するのが果たしていいことなのか、その面から学校の廃校・休校に至った経緯にも触れたつもりです。ですから各地域の解説は平成の合併前の区分とし、できるだけ昭和の大合併時の旧自治体単位にも触れてあります。
もちろん、市町村合併や過疎化だけが学校の統廃合に関係するわけではありません。少子化の問題も大きな理由でしょう。今は1軒の家に子供一人ということが多いようですが、昔は1軒の家に5人以上の子供がいるのが普通でした。
追記(05/6/22):昭和の大合併について調べているうちに1956(昭和31)年公布の「新市町村建設促進法」という法令にたどり着きました。この法令は合併後の各種行政機関の効率化とその予算について厳しく制定しています。要するに合併後の各種地方行政機関の統廃合をお金で縛り付けたわけです。この法令の中には小中学校の統廃合にも触れており、一定の規定を設けて猶予期間を与えた上での統廃合を実質的に義務づけた訳です。昭和の大合併が残したものは地方の衰退と疲弊以外の何者でもない、にも関わらず同じ過ちを半世紀後に押しつける官僚政治、何かが絶対に間違っていると思います。合併だけが地方の衰退につながったわけではありません、国家として政策の問題もあります、しかしその中心にいるのは机上の論理だけを押しつける官僚政治だと思います。三権分立が形骸化している現状でそれを今更議論をすり替えて「抵抗勢力」だけで片づけて、地方対都会の方向に世論を誘導する姑息な政治手法とその先鞭に乗った愚かな政治家、見ているだけで悲しくなります。皆さんはどう思われますか?
★廃校と休校
廃校と休校の違いについてですが、一応規定があるようです。、現在も発行されているかどうかはわからないのですが文部省時代には「公立学校施設整備実務ハンドブック」が発行されていて旧廃校に関する事務手続きはこれに記載されていました。休校とは現在児童生徒がいないだけであって学校設備として存続する意志が自治体にあるといえばいいでしょうか。実務的に休校の場合は地方交付税の補助金対象に算入、施設管理は教育委員会が行い通学区の変更を届け出る。閉校の場合は地方交付税には算入せず、施設管理が自治体首長部へ移行し、学校設置条例を改正して廃校届け、このあたりが違うようです。
ただ休校の場合も原則として無期限ではなく、生徒の増加による再開の見込みがない場合は速やかに廃校にすることが決められています。しかし前述の地方交付税には財産処分制限期間というのがあり、闇雲に廃校にした場合補助金の返還という問題が発生します。あと、学校の建設にあたって地方債の発行が絡んでいる場合、その償還期限も休校期限と関係あるようです。ここらあたりの事は地方自治体の財政に詳しくないのでよくわからない部分があります(裏事情もあって多少ここには書きづらい部分もあります)。それと地元への配慮というのもあって、実際にはいったん休校にして何年か経って(だいたい5年から10年みたいです)廃校にするケースが多いようです。
注意
1:ここで登場する学校は昭和22年のいわゆる6・3・3制以降の小中学校および高等学校になります。
2:生徒数などの数字は引用先の文献・資料に基づくものです。
3:各学校の個別解説はすべて現地訪問・現地取材を鉄則としてあります。
★はじめのあとがき
深い意味はなく始めたこのサイト、当初は高知県内の旧廃校がせいぜい150ちょっとだろうと思っていました。まあ、そのくらいならボチボチ調べていけばいいだろうと高をくくっていたのです。ところがその安心理論は郡部の小学校数を調べるだけで崩壊、手持ちの資料だけで一気に200を越えてしまいました。その後、いくつかの教育委員会から資料を貰ううちに既に300突破。まだ手つかずの市町村もいくつか残っています。しかも今朝の新聞には「XX町のxx小学校、来年3月で休校」なんて出ているし・・・。